233・半七捕物帳54「唐人飴(4)」


朗読「半七54-4.mp3」14 MB、長さ: 約 15分 27秒

 

     四

 善光寺境内[ぜんこうじけいだい]は広[ひろ]い。半七[はんしち]は人目[ひとめ]の少[すく]ないところへ源次[げんじ]を連[つ]れ込[こ]んで、その報告[ほうこく]を聞[き]くと、彼[かれ]は庄太[しょうた]の指図[さしず]にしたがって、ゆうべから今朝[けさ]にかけて懇意[こんい]の飴屋仲間[あめやなかま]を問[と]い合[あ]わせたが、唐人飴屋[とうじんあめや]で青山[あおやま]の方角[ほうがく]へ立[た]ち廻[まわ]る者[もの]はないらしいというのであった。
「して見[み]ると、あの飴屋[あめや]はほんとうの商人[あきんど]じゃあねえ。やっぱり喰[く]わせ者[もの]ですよ」と、源次[げんじ]は云[い]った。「お前[まえ]さんはあの若[わか]い役者[やくしゃ]もしきりに睨[にら]んでいなすったが、あれにも何[なに]か仔細[しさい]がありますかえ」
「むむ、あいつも唯者[ただもの]じゃあねえな」と、半七[はんしち]は云[い]った。「あいつの拝[おが]み方[かた]が気[き]に入[い]らねえ。そりゃあ芸人[げいにん]のことだから、不動[ふどう]さまを信心[しんじん]しようと、仁王[におう]さまを拝[おが]もうと、それに不思議[ふしぎ]はねえようなものだが、唯[ただ]ひと通[とお]りの拝[おが]み方[かた]じゃあねえ。あいつは真剣[しんけん]に何事[なにごと]か祈[いの]っているのだ」
「そりゃあ役者[やくしゃ]だから、自然[しぜん]にからだの格好[かっこう]が付[つ]いて、真剣[しんけん]らしく見[み]えるのでしょう」
「いや、そうでねえ。舞台[ぶたい]の芸[げい]とは違[ちが]っている。あいつは本気[ほんき]で一生懸命[いっしょうけんめい]に祈[いの]っているのだ。あいつは浅川[あさかわ]の芝居[しばい]の役者[やくしゃ]だというが、どうもそうで無[な]いらしい。さっき見[み]た小三[こさん]の芝居[しばい]にあんな奴[やつ]が出[で]ていた。第一[だいいち]、おれの腑[ふ]に落[お]ちねえのは、小三[こさん]の芝居[しばい]は女役者[おんなやくしゃ]だ。その一座[いちざ]に男[おとこ]がまじっているという法[ほう]はねえ。宮地[みやじ]の芝居[しばい]だから、大目[おおめ]に見[み]ているのかも知[し]れねえが、男[おとこ]と女[おんな]と入[い]りまじりの芝居[しばい]は御法度[ごはっと]だ。恐[おそ]らく虎[とら]になる役者[やくしゃ]に困[こま]って、男芝居[おとこしばい]の役者[やくしゃ]を内証[ないしょう]で借[か]りて来[き]たのだろうと思[おも]うが、その役者[やくしゃ]が眼[め]の色[いろ]を変[か]えて仁王[におう]さまを拝[おが]んでいる……。それがどうも判[わか]らねえ。なにか仔細[しさい]がありそうだ」
「そこで、わっしはどうしましょう」
「そうだな」と、半七[はんしち]は又[また]かんがえながら云[い]った。「まあ仕方[しかた]がねえ。おめえはもう少[すこ]しここらを流[なが]しあるいて、何[なに]かの手[て]がかりを見[み]つけてくれ。常磐津[ときわず]の師匠[ししょう]と雇[やと]い婆[ばば]、あいつらもなんだか胡散[うさん]だから、出這入[ではい]りに気[き]をつけろ」
 なにを云[い]うにも人通[ひとどお]りの少[すく]ない場末[ばすえ]の町[まち]である。そこをいつまでも徘徊[はいかい]しているのは、人[ひと]の目[め]に立[た]つ虞[おそ]れがあるので、半七[はんしち]はここで源次[げんじ]に別[わか]れて、ひとまず引[ひ]き揚[あ]げることにした。
 帰[かえ]るときに半七[はんしち]は、念[ねん]のために浅川[あさかわ]の芝居[しばい]の前[まえ]へ行[い]った。その頃[ころ]の青山[あおやま]には、今[いま]の人[ひと]たちの知[し]らない町[まち]の名[な]が多[おお]い。久保町[くぼちょう]から権田原[ごんだわら]の方角[ほうがく]へ真[ま]っ直[す]ぐにゆくと、左側[ひだりがわ]に浅川町[あさかわちょう]、若松町[わかまつちょう]などという小[ちい]さい町[まち]が続[つづ]いている。それは現今[げんこん]の青山北町二丁目辺[あおやまきたまちにちょうめあたり]である。その浅川町[あさかわちょう]の空地[あきち]にも小屋掛[こやが]けの芝居[しばい]があって、これは男役者[おとこやくしゃ]の一座[いちざ]である。半七[はんしち]は小屋[こや]の前[まえ]に立[た]って眺[なが]めると、庵看板[いおりかんばん]の端[はし]に市川照之助[いちかわてるのすけ]の名[な]が見[み]えた。
 この時[とき]、半七[はんしち]の袖[そで]をそっと引[ひ]く者[もの]があるので、見返[みかえ]れば庄太[しょうた]が摺[す]りよっていた。
「源次[げんじ]に逢[あ]いましたか」と、彼[かれ]はささやくように訊[き]いた。
「むむ、逢[あ]った。善光寺前[ぜんこうじまえ]にうろ付[つ]いている筈[はず]だ。あいつと打[う]ち合[あ]わせて宜[よろ]しく頼[たの]むぜ」
「ようがす」
 半七[はんしち]はあとを頼[たの]んで神田[かんだ]へ帰[かえ]った。彼[かれ]が鳳閣寺内[ほうかくじない]の宮芝居[みやしばい]をのぞいたのは、単[たん]に芝居好[しばいず]きであるが為[ため]ではない。そこで「国姓爺合戦[こくせんやがっせん]」を上演[じょうえん]していたからである。そうして、案[あん]の如[ごと]くに一[ひと]つの手[て]がかりを掴[つか]んだ。まだそれだけでは此[こ]の事件[じけん]を完全[かんぜん]に解決[かいけつ]することは出来[でき]なかった。彼[かれ]は文字吉[もじよし]に就[つ]いても考[かんが]えなければならなかった。小三津[こみつ]や照之助[てるのすけ]についても考[かんが]えなければならなかった。
 あくる日[ひ]の午前[ひるまえ]に、庄太[しょうた]が汗[あせ]をふきながら駈[か]け込[こ]んで来[き]た。
「親分[おやぶん]、済[す]みません。おおしくじりだ。まあ、堪忍[かんにん]しておくんなせえ」
 きのうの日暮[ひぐ]れ方[がた]に源次[げんじ]を帰[かえ]して、彼[かれ]は百人町[ひゃくにんまち]の菩提寺[ぼだいじ]にひと晩泊[ばんと]めて貰[もら]った。しかもその夜[よる]のうちに、眼[め]と鼻[はな]のあいだで、又[また]もや一[ひと]つの椿事[ちんじ]が出来[しゅったい]したと云[い]うのである。
「どうした」と、半七[はんしち]は訊[き]いた。「また斬[き]られた奴[やつ]があるのか」
「その通[とお]り……。場所[ばしょ]も同[おな]じ羅生門横町[らしょうもんよこちょう]に、唐人飴[とうじんあめ]の片腕[かたうで]がまた落[お]ちていました」
「そうか」と、半七[はんしち]はにやりと笑[わら]った。「それからどうした」
「やっぱり唐人[とうじん]の筒袖[つつそで]のままです。なんぼ羅生門横町[らしょうもんよこちょう]でも、三日[みっか]と経[た]たねえうちに二度[にど]も腕[うで]を斬[き]られたのだから、近所[きんじょ]は大騒[おおさわ]ぎ、わっしも面[めん]くらいましたよ」
「腕[うで]は前[まえ]のと同[おな]じようか」
「違[ちが]います。前[まえ]のは生[なま]っ白[ちろ]い腕[うで]でしたが、今度[こんど]のは色[いろ]の黒[くろ]い、頑丈[がんじょう]な腕[うで]です。前[まえ]のは若[わか]い奴[やつ]でしたが、今度[こんど]のはどうしても三十以上[さんじゅういじょう]、四十[しじゅう]ぐらいの奴[やつ]じゃあねえかと思[おも]われます。なにしろ泊[と]まり込[こ]みで網[あみ]を張[は]っていながら、こんな事[こと]になってしまって、なんと叱[しか]られても一言[いちごん]もありません。庄太[しょうた]が一生[いっしょう]の不覚[ふかく]、あやまりました」
 彼[かれ]はしきりに恐縮[きょうしゅく]していた。
「今[いま]さら叱[しか]っても後[あと]の祭[まつ]りだ。その罪[つみ]ほろぼしに身[み]を入[い]れて働[はたら]け」と、半七[はんしち]は苦笑[にがわら]いした。「おめえは早[はや]く青山[あおやま]へ引[ひ]っ返[かえ]して、そこらの外科医者[げかいしゃ]を調[しら]べてみろ。今度斬[こんどき]られたのは近所[きんじょ]の奴[やつ]だ。ゆうべのうちに手当[てあ]てを頼[たの]みに行[い]ったに相違[そうい]ねえ。斬[き]った奴[やつ]も大抵心[たいていこころ]あたりがある。おれは誰[だれ]かを連[つ]れて行[い]って、その下手人[げしゅにん]を見[み]つけてやる」
「下手人[げしゅにん]はあたりが付[つ]いていますか」
「大抵[たいてい]は判[わか]っている。やっぱり眼[め]のさきにいる奴[やつ]だ。浅川[あさかわ]の芝居[しばい]にいる市川照之助[いちかわてるのすけ]だろう。あいつは力[ちから]を授[さず]かるために仁王[におう]さまを拝[おが]んでいたらしい。どうもあいつの眼[め]の色[いろ]が唯[ただ]でねえと、おれはきのうから睨[にら]んでいたのだ」
「でも、唐人飴[とうじんあめ]とどういう係[かか]り合[あ]いがあるのでしょう。斬[き]られた腕[うで]は二度[にど]とも唐人飴[とうじんあめ]の筒袖[つつそで]を着[き]ていたのですが……」
「おめえは知[し]るめえが、鳳閣寺[ほうかくじ]の女芝居[おんなしばい]で国姓爺[こくせんや]の狂言[きょうげん]をしている。十六文[じゅうろくもん]の宮芝居[みやしばい]だから、衣裳[いしょう]なんぞは惨[みじ]めなほどにお粗末[そまつ]な代物[しろもの]で、虎狩[とらがり]や楼門[ろうもん]に出[で]る唐人共[とうじんども]も満足[まんぞく]な衣裳[いしょう]を着[き]ちゃあいねえ。みんな安更紗[やすさらさ]の染[そ]め物[もの]で、唐人飴[とうじんあめ]と《《そっくり》》の拵[あつら]えだ。それを見[み]ると、今度[こんど]の腕斬[うでき]りの一件[いっけん]は、この女芝居[おんなしばい]の楽屋[がくや]に係[かか]り合[あ]いがあるらしいと思[おも]っていたが、いよいよそれに相違[そうい]ねえ。照之助[てるのすけ]という奴[やつ]が誰[だれ]かの腕[うで]を斬[き]って、それに唐人[とうじん]の衣裳[いしょう]の袖[そで]をまき付[つ]けて、わざと羅生門横町[らしょうもんよこちょう]へ捨[す]てて置[お]いたのだろう。その訳[わけ]も大抵察[たいていさっ]しているが、それを云[い]っていると長[なが]くなる。これだけのことを肚[はら]に入[い]れて、おめえは早[はや]く青山[あおやま]へ行[い]け」
 この説明[せつめい]を聞[き]かされて、庄太[しょうた]は幾[いく]たびかうなずいた。
「わかりました。すぐに行[い]きます」
 庄太[しょうた]が出[で]ていった後[あと]、半七[はんしち]も身支度[みじたく]をして待[ま]っていると、やがて亀吉[かめきち]が顔[かお]を出[だ]した。
「おい、亀[かめ]、御苦労[ごくろう]だが、青山[あおやま]まで一緒[いっしょ]に行[い]ってくれ」と、半七[はんしち]はすぐに立[た]ち上[あ]がった。「筋[すじ]は途中[とちゅう]で話[はな]して聞[き]かせる」
 こんなことには馴[な]れているので、亀吉[かめきち]は黙[だま]って付[つ]いて来[き]た。
 大体[だいたい]の筋[すじ]を話[はな]しながら、青山[あおやま]まで行[ゆ]き着[つ]くあいだに、きょうの空[そら]は怪[あや]しく曇[くも]って来[き]たが、どうにか今夜[こんや]ぐらいは持[も]つだろうと半七[はんしち]は云[い]った。ここらの宮芝居[みやしばい]は明[あか]るいうちに閉場[はね]ることになっている。殊[こと]に照之助[てるのすけ]は虎狩[とらがり]に出[で]るだけの役[やく]らしいので、ぐずくずしていると帰[かえ]ってしまうかも知[し]れないと、二人[ふたり]は鳳閣寺[ほうかくじ]へ急[いそ]いで行[い]くと、桶屋[おけや]の源次[げんじ]が門前[もんまえ]に待[ま]っていた。
 二人[ふたり]を見[み]ると、源次[げんじ]は駈[か]けて来[き]て、顔[かお]をしかめながら訊[き]いた。
「さっき庄太[しょうた]さんに逢[あ]いましたが、又[また]ほかに変[へん]なことがあるので……」
「又[また]ほかに……。何[なに]が始[はじ]まった」と、半七[はんしち]は催促[さいそく]するように訊[き]いた。
「ここの小屋[こや]の様子[ようす]を探[さぐ]ってみると、虎[とら]を勤[つと]める奴[やつ]は確[たし]かに市川照之助[いちかわてるのすけ]ですが、きょうは楽屋[がくや]に来[き]ていません。呼[よ]び物[もの]の虎[とら]が出[で]て来[こ]ない上[うえ]に、錦祥女[きんしょうじょ]を勤[つと]める坂東小三津[ばんどうこみつ]という女役者[おんなやくしゃ]も急病[きゅうびょう]だというので、きょうは舞台[ぶたい]を休[やす]んでいるのです。表向[おもてむ]きは急病[きゅうびょう]と云[い]っているが、実[じつ]は其[そ]のゆくえが知[し]れないので、芝居[しばい]の方[ほう]じゃあ大騒[おおさわ]ぎをしているそうです。時[とき]が時[とき]だけに、少[すこ]し変[へん]じゃあありませんかね」
「むむ。それも面白[おもしろ]くねえな」と、半七[はんしち]は舌打[したう]ちした。「そこで小三津[こみつ]の家[うち]はどこだ」
「小三津[こみつ]は師匠[ししょう]の小三[こさん]の家[うち]にいるのです。小三[こさん]の家[うち]は善光寺門前[ぜんこうじもんぜん]です」
「照之助[てるのすけ]の家[うち]は……」
「照之助[てるのすけ]は兄[あに]きの岩蔵[いわぞう]と一緒[いっしょ]に、若松町[わかまつちょう]の裏店[うらだな]に住[す]んでいます。兄[あに]きも役者[やくしゃ]で市川岩蔵[いちかわいわぞう]というのですが、芝居[しばい]が半分[はんぶん]、博奕[ばくち]が半分[はんぶん]のごろつき肌[はだ]で、近所[きんじょ]の評判[ひょうばん]はよくねえ奴[やつ]です。おふくろはお金[きん]といって、常磐津[ときわず]の師匠[ししょう]の文字吉[もじよし]の家[うち]へ雇[やと]い婆[ばあ]さんのように手伝[てつだ]いに行[い]っていますが、こいつもなかなか《《しっかり》》者[もの]のようです。実[じつ]は照之助[てるのすけ]の家[いえ]を覗[のぞ]きに行[い]ったのですが、兄[あに]きも弟[おとうと]も留守[るす]で、家[いえ]は空[から]ッぽでした」
「岩蔵[いわぞう]はどこの小屋[こや]に出[で]ているのだ」
「弟[おとうと]と一緒[いっしょ]に、ここの芝居[しばい]へ出[で]ていたのですが、それに就[つ]いて何[なに]か面倒[めんどう]が起[お]こって、この二[に]、三日[さんにち]は休[やす]んでいるようです」
 これで唐人飴[とうじんあめ]の謎[なぞ]も半分[はんぶん]は解[と]けたように、半七[はんしち]は思[おも]った。最初[さいしょ]に発見[はっけん]されたのは、市川岩蔵[いちかわいわぞう]の腕[うで]である。二度目[にどめ]の腕[うで]は誰[だれ]か判[わか]らないが、それを斬[き]ったのは市川照之助[いちかわてるのすけ]である。照之助[てるのすけ]は兄[あに]のかたき討[う]ちに、相手[あいて]の腕[うで]を斬[き]ったらしい。そうして、同[おな]じ唐人[とうじん]の衣裳[いしょう]の袖[そで]につつんで、同[おな]じ場所[ばしょ]へ捨[す]てたらしい。二度目[にどめ]の腕[うで]の主[ぬし]は、庄太[しょうた]が外科医[げかい]を調[しら]べて来[く]れば、大抵[たいてい]は知[し]れる筈[はず]である。
 唯[ただ]わからないのは、最初[さいしょ]からここらに立[た]ち廻[まわ]っている疑問[ぎもん]の唐人飴屋[とうじんあめや]の正体[しょうたい]である。もう一[ひと]つは、坂東小三津[ばんどうこみつ]のゆくえ不明[ふめい]である。師匠[ししょう]の小三[こさん]と折[お]り合[あ]いが悪[わる]くて、結局無断[けっきょくむだん]で飛[と]びだしたのか。或[ある]いは別[べつ]に仔細[しさい]があるのか。常磐津[ときわず]の文字吉[もじよし]はいっさい無関係[むかんけい]であるのか。雇[やと]い婆[ばば]のお金[きん]は照之助兄弟[てるのすけきょうだい]の母[はは]である以上[いじょう]、この事件[じけん]に無関係[むかんけい]であるとは思[おも]われない。それらの秘密[ひみつ]がはっきりしたあかつきでなければ、半七[はんしち]も迂濶[うかつ]に手[て]を入[い]れることが出来[でき]なかった。
「なにぶん場所[ばしょ]が悪[わる]い」と、半七[はんしち]はつぶやいた。
 町方[まちかた]の半七[はんしち]らに取[と]っては、まったく場所[ばしょ]が悪[わる]いのである。この事件[じけん]の関係者[かんけいしゃ]は多[おお]く寺門前[てらもんまえ]に住[す]んでいる。現[げん]にこの芝居小屋[しばいごや]も寺内[じない]にある。寺内[じない]は勿論[もちろん]、寺門前[てらもんまえ]の町屋[まちや]はすべて寺社方[じしゃがた]の支配[しはい]に属[ぞく]しているのであるから、町奉行所付[まちぶぎょうじょづ]きの者[もの]が、むやみに手[て]を入[い]れると支配違[しはいちが]いの面倒[めんどう]がおこる。十分[じゅうぶん]の証拠[しょうこ]を挙[あ]げて、町奉行所[まちぶぎょうしょ]から寺社奉行[じしゃぶぎょう]に報告[ほうこく]し、その諒解[りょうかい]を得[え]た上[うえ]でなければ、町方[まちかた]の者[もの]が自由[じゆう]に活動[かつどう]することを許[ゆる]されない。それを付[つ]け目[め]にして、寺門前[てらもんまえ]には法網[ほうもう]をくぐる者[もの]が|往々[おうおう]ある。その欠陥[けっかん]を承知[しょうち]していながら、先例[せんれい]を重[おも]んずる幕府[ばくふ]の習慣[しゅうかん]として、江戸[えど]を終[おわ]るまであらためられなかった。
 庄太[しょうた]の戻[もど]って来[く]るのを待[ま]つあいだ、三人[さんにん]が寺門前[てらもんまえ]に突[つ]っ立[た]ってもいられないので、源次[げんじ]だけをそこに残[のこ]して、半七[はんしち]と亀吉[かめきち]は百人町[ひゃくにんまち]の表通[おもてどお]りをぶらぶらと歩[ある]き出[だ]した。ほかに行[い]く所[ところ]もないので、二人[ふたり]はきのうの蕎麦屋[そばや]へはいった。

232・半七捕物帳54「唐人飴(3)」


朗読「半七54-3.mp3」12 MB、長さ: 約 13分 35秒

 

     三

 鳳閣寺[ほうかくじ]の境内[けいだい]を出[で]て、半七[はんしち]は更[さら]に久保町[くぼちょう]へむかった。ここらにも町名主[ちょうなぬし]の玄関[げんかん]はある。半七[はんしち]はその玄関[げんかん]をおとずれて町[ちょう]役人[やくにん]に逢[あ]い、かの片腕[かたうで]の一件[いっけん]についてひと通[とお]りのことを訊[き]きただしたが、庄太[しょうた]の報告以外[ほうこくいがい]に新[あた]らしい発見[はっけん]もなかった。唯[ただ]ここで少[すこ]しく意外[いがい]に感[かん]じたのは、疑問[ぎもん]の唐人飴屋[とうじんあめや]がきのうも平気[へいき]でここへ姿[すがた]をあらわしたという事[こと]であった。しかも其[そ]の両手[りょうて]は満足[まんぞく]に揃[そろ]っているというのである。
「あの飴屋[あめや]は毎日[まいにち]いつごろ廻[まわ]って来[き]ます」と、半七[はんしち]は訊[き]いた。
「大抵八[たいていや]ツ(午後二時[ごごにじ])頃[ごろ]です」
 八[や]ツまではまだ半[はん]ときほどの間[ひま]がある。そのあいだに遅[おそ]い午飯[ひるめし]を食[く]うことにしたが、ここらの勝手[かって]をよく知[し]らない半七[はんしち]は、迂濶[うかつ]なところへ飛[と]び込[こ]むのは気味[きみ]が悪[わる]いと思[おも]って、当座[とうざ]の腹[はら]ふさぎに近所[きんじょ]の蕎麦屋[そばや]へはいると、ほかに一人[ひとり]の客[きゃく]もなかった、注文[ちゅうもん]の蕎麦[そば]の出来[でき]るのを待[ま]つあいだ、煙草[たばこ]を吸[す]いながら見[み]まわすと、くすぶった壁[かべ]には彼[か]の坂東小三[ばんどうこさん]の芝居[しばい]のビラが掛[か]けてあった。
 店[みせ]は狭[せま]いので、釜前[かままえ]に立[た]ち働[はたら]いている亭主[ていしゅ]はすぐ眼[め]のさきにいる。半七[はんしち]はビラを見返[みかえ]りながら亭主[ていしゅ]に声[こえ]をかけた。
「小三[こさん]の芝居[しばい]はなかなか景気[けいき]がいいね」
「ご見物[けんぶつ]になりましたか」と、亭主[ていしゅ]は云[い]った。
「実[じつ]は今[いま]、二幕[にまく]ばかり覗[のぞ]いて来[き]たのだが、宮芝居[みやしばい]でも馬鹿[ばか]にゃあ出来[でき]ねえ。みんな相当[そうとう]に腕達者[うでたっしゃ]だ」
 土地[とち]の芝居[しばい]を褒[ほ]められて、亭主[ていしゅ]も悪[わる]い心持[こころもち]はしないらしく、にこにこしながら答[こた]えた。
「どうでお江戸[えど]の|方々[かたがた]の御覧[ごらん]になるような物[もの]じゃあござんすまいが、相当[そうとう]によくすると皆[みな]さんが云[い]っておいでですよ。あれでも此処[ここ]らじゃあなかなかの評判[ひょうばん]です」
「そうだろうな。錦祥女[きんしょうじょ]をしている小三津[こみつ]というのは綺麗[きれい]だね」
「ええ、小三津[こみつ]は年[とし]も若[わか]いし、容貌[きりょう]もいいので、人気者[にんきもの]ですよ」
 蕎麦[そば]を食[く]いながら亭主[ていしゅ]の話[はなし]を聞[き]くと、座頭[ざがしら]の小三[こさん]はもう三十七八[さんじゅうしちはち]である。小三津[こみつ]はその弟子[でし]で、まだ二十二三[にじゅうにさん]である。小三津[こみつ]は今度[こんど]の錦祥女[きんしょうじょ]も評判[ひょうばん]がいいが、この前[まえ]の「鎌倉三代記[かまくらさんだいき]」の時姫[ときひめ]もよかった。そんなわけで、小三津[こみつ]はこの一座[いちざ]の花形[はながた]であるが、なぜか此[こ]の頃[ごろ]は師匠[ししょう]の機嫌[きげん]を悪[わる]くして、このあいだも楽屋[がくや]でひどく叱[しか]られた。小三津[こみつ]は泣[な]いて退座[たいざ]すると云[い]い出[だ]したが、花形役者[はながたやくしゃ]に退[の]かれては興行[こうぎょう]にさわるので、ほかの|人々[ひとびと]が仲裁[ちゅうさい]して無事[ぶじ]に納[おさ]めた。
「なんと云[い]っても女同士[おんなどうし]の寄合[よりあ]いですから、いろいろうるさいと見[み]えますよ」と、亭主[ていしゅ]は云[い]った。
「小三津[こみつ]はなんで師匠[ししょう]に叱[しか]られた。舞台[ぶたい]の出来[でき]が悪[わる]かったのか、それとも色男[いろおとこ]でもこしらえたか」と、半七[はんしち]は笑[わら]いながら訊[き]いた。
「小三津[こみつ]は堅[かた]い女[おんな]で、これまで浮[う]いた噂[うわさ]も無[な]し、今[いま]でもそんなことは無[な]いらしいというのですが……」と、亭主[ていしゅ]は首[くび]をかしげながら云[い]った。「それですから幾[いく]らか給金[きゅうきん]も溜[た]めているし、着物[きもの]なぞも相当[そうとう]に拵[こしら]えていたのだそうですが、それをどうしてかみんな無[な]くしてしまったのを、師匠[ししょう]に見付[みつ]けられて叱[しか]られたのだとかいう噂[うわさ]です。どうしたのですかね」
「博奕[ばくち]でも打[う]つかな」
「まあ、そんなことかも知[し]れません。その連中[れんちゅう]には女[おんな]でも手慰[てなぐさ]みをする者[もの]がありますからね。地道[じみち]なことで無[な]くしたのなら、師匠[ししょう]もそんなに叱[しか]る筈[はず]はありません。なにか悪[わる]いことをしたのでしょうね」
「むむ」と、半七[はんしち]は蕎麦[そば]の代[かわ]りをあつらえながら又訊[またき]いた。
「今見[いまみ]たら、木戸前[きどまえ]に小三津[こみつ]の新[あたら]しい幟[のぼり]が立[た]っている。呉[く]れた人[ひと]は常磐津文字吉[ときわずもじよし]とある。小三津[こみつ]は文字吉[もじよし]に何[なに]か係[かか]り合[あ]いがあるのかね」
「文字吉[もじよし]は実相寺門前[じっそうじもんまえ]の師匠[ししょう]ですが、小三津[こみつ]をたいへん贔屓[ひいき]にして、楽屋[がくや]へ遣[つか]い物[もの]をしたり幟[のぼり]をやったり、近[ちか]くの料理屋[りょうりや]へ呼[よ]んだりしたので、小三津[こみつ]の方[ほう]でも喜[よろこ]んで、このごろでは師匠[ししょう]の家[うち]へもちょいちょい出這入[ではい]りをしているようです」
「それで叱[しか]られたわけでもあるめえ」
「勿論[もちろん]それは別[べつ]の話[はなし]で……」と、亭主[ていしゅ]は笑[わら]っていた。「芸人同士[げいにんどうし]、女同士[おんなどうし]で、贔屓[ひいき]にしてくれる所[ところ]へ顔出[かおだ]しをするのを、師匠[ししょう]がやかましく云[い]う筈[はず]はありません」
「まったくだ。そんな野暮[やぼ]を云[い]っちゃあ、役者稼業[やくしゃかぎょう]は出来[でき]ねえ」
 それから糸[いと]を引[ひ]いて、今度[こんど]は文字吉[もじよし]の噂[うわさ]に移[うつ]ったが、亭主[ていしゅ]は彼女[かのじょ]を悪[わる]く云[い]わなかった。やはり庄太[しょうた]の報告通[ほうこくどお]り、酒屋[さかや]の旦那[だんな]に遠慮[えんりょ]して男[おとこ]の弟子[でし]は取[と]らない。弟子[でし]は近所[きんじょ]の娘[むすめ]たちか、遠方[えんぽう]から通[かよ]って来[く]る女[おんな]たちである。旦那[だんな]から|月々[つきづき]の手当[てあ]てを貰[もら]う上[うえ]に、いい弟子[でし]が相当[そうとう]にあるので、師匠[ししょう]はなかなか内福[ないふく]であるらしいと云[い]った。
「遠[とお]くからどんな弟子[でし]が来[く]るのだね」と、半七[はんしち]は訊[き]いた。
「遠方[えんぽう]から来[く]るのですから、若[わか]い人[ひと]はありません、大抵[たいてい]は二十代[にじゅうだい]か三十代[さんじゅうだい]の年増[としま]です。日本橋[にほんばし]や神田[かんだ]の下町[したまち]からも来[き]ますし、四谷牛込[よつやうしごめ]の山[やま]の手辺[てあたり]からも来[く]るそうです。まあ、囲[かこ]い者[もの]のような女[おんな]か、後家[ごけ]さんらしい人[ひと]たちですね」
 この上[うえ]に深[ふか]い詮議[せんぎ]をするのもよくないと思[おも]って、半七[はんしち]は勘定[かんじょう]を払[はら]って蕎麦屋[そばや]を出[で]た。文字吉[もじよし]という師匠[ししょう]はそれほど上手[じょうず]でもないと云[い]うのに、なぜ遠方[えんぽう]から年増[としま]の女弟子[おんなでし]がわざわざ通[かよ]って来[く]るのか、それには何[なに]かの仔細[しさい]がありそうに思[おも]われた。半七[はんしち]はそれを考[かんが]えながら、熊野権現[くまのごんげん]の社[やしろ]のあたりをひと廻[まわ]りして、実相寺門前[じっそうじもんまえ]の文字吉[もじよし]の家[いえ]をたずねると、五十六七[ごじゅうろくしち]の雇[やと]い婆[ばば]らしい女[おんな]が出[で]て来[き]て、三角[さんかく]な眼[め]をひからせながら無愛想[ぶあいそ]に答[こた]えた。
「お師匠[ししょ]さんは風邪[かぜ]を引[ひ]いて寝[ね]ていますよ。お前[まえ]さんはどなたで……」
「お弟子入[でしい]りの子供[こども]をたのまれて、赤坂[あかさか]の方[ほう]から参[まい]りましたが……」と、半七[はんしち]はおだやかに云[い]った。
「そうですか」と、彼女[かのじょ]は相手[あいて]の顔[かお]をながめながら又答[またこた]えた。「それにしてもお師匠[ししょう]さんはゆうべから寝[ね]ていますからね、又出直[またでなお]して来[き]てください」
「世間[せけん]の噂[うわさ]じゃあ、お師匠[ししょう]さんはきのうの朝[あさ]、熊野[くまの]さまの近所[きんじょ]で、往来[おうらい]に落[お]ちている片腕[かたうで]を見付[みつ]けたそうで……。それから熱[ねつ]でも出[で]たのですかえ」
「そんなことは知[し]りませんよ」
 彼女[かのじょ]の眼[め]はいよいよ光[ひか]った。ここで自分[じぶん]の正体[しょうたい]をあらわすのも面白[おもしろ]くないので、半七[はんしち]はいい加減[かげん]に挨拶[あいさつ]して|早々[そうそう]にここを出[で]た。出[で]て見[み]ると、いつの間[ま]に来[き]たか知[し]らず、塩煎餅屋[しおせんべいや]の前[まえ]に子供[こども]をあつめて、唐人飴[とうじんあめ]の男[おとこ]が往来[おうらい]でカンカンノウを踊[おど]っていた。彼[かれ]は型[かた]のごとく唐人笠[とうじんがさ]をかぶって、怪[あや]しげな更紗[さらさ]の唐人服[とうじんふく]を着[き]て、飴[あめ]の箱[はこ]を地面[じめん]におろして、両手[りょうて]をあげて踊[おど]っていたが、色[いろ]の小白[こじろ]い、眼[め]つきのやさしい、いかにも憎気[にくげ]のない男[おとこ]であった。半七[はんしち]はしばらく立[た]ちどまって眺[なが]めていた。
 子供[こども]たちは笑[わら]って踊[おど]りを見[み]ているばかりで、一人[ひとり]も飴[あめ]を買[か]う者[もの]はなかった。親[おや]たちから飴[あめ]を買[か]う銭[ぜに]を与[あた]えられない為[ため]であろう。それでも飴売[あめう]りはちっとも忌[いや]な顔[かお]をしないで、何[なに]か子供[こども]たちに冗談[じょうだん]などを云[い]っていた。
 なにぶんにも天気[てんき]はいい。日[ひ]はまだ高[たか]い。その真[ま]っ昼間[ぴるま]の往来[おうらい]で、いつまでも飴売[あめう]りのあとを付[つ]け廻[まわ]しているわけにも行[い]かないので、半七[はんしち]はその人相[にんそう]を篤[とく]と見定[みさだ]めただけで、ひと先[ま]ずそこを立[た]ち去[さ]るのほかは無[な]かった。行[い]きかけて見[み]ると、文字吉[もじよし]の家[いえ]の雇[やと]い婆[ばば]は裏口[うらぐち]から表[おもて]へ出[で]て、半七[はんしち]の挙動[きょどう]をそっと窺[うかが]っているらしかった。
 この婆[ばば]も唯者[ただもの]でないと、半七[はんしち]は肚[はら]の中[なか]で睨[にら]んだ。さてそれからどうしようかと考[かんが]えながら、ともかくも久保町[くぼちょう]の通[とお]りを行[ゆ]き過[す]ぎると、荒物屋[あらものや]の前[まえ]に道具[どうぐ]をおろして手桶[ておけ]の箍[たが]をかけ換[か]えている職人[しょくにん]の姿[すがた]が眼[め]についた。それは往来[おうらい]を流[なが]してあるく桶屋[おけや]である。もしやと思[おも]って覗[のぞ]いてみると、職人[しょくにん]は下[した]っ引[ぴき]の源次[げんじ]であるので、半七[はんしち]は行[ゆ]き過[す]ぎながら合図[あいず]の咳払[せきばら]いをすると、源次[げんじ]は仕事[しごと]の手[て]をやすめて顔[かお]をあげた。二人[ふたり]は眼[め]を見合[みあ]わせたまま無言[むごん]で別[わか]れた。
 源次[げんじ]が来[き]ている以上[いじょう]、庄太[しょうた]も来[き]ているかも知[し]れないと、半七[はんしち]は気[き]をつけて見[み]まわしたが、其処[そこ]らにそれらしい人影[ひとかげ]も見[み]えなかった。大通[おおどお]りへ出[で]ると、百人町[ひゃくにんまち]の武家屋敷[ぶけやしき]は青葉[あおば]の下[した]に沈[しず]んで、初夏[しょか]の昼[ひる]は眠[ねむ]ったように静[しず]かである。渋谷[しぶや]から青山[あおやま]の空[そら]へかけて時鳥[ほととぎす]が啼[な]いて通[とお]った。
 半七[はんしち]は|時々[ときどき]うしろを見[み]かえりながら善光寺門前[ぜんこうじもんまえ]へさしかかると、源次[げんじ]は|怱々[そうそう]に仕事[しごと]を片付[かたづ]けたと見[み]えて、やがて後[あと]から追[お]って来[き]た。半七[はんしち]は彼[かれ]を頤[あご]で招[まね]いて、善光寺[ぜんこうじ]の仁王門[におうもん]をくぐろうとしたが、また俄[にわ]かに立[た]ちどまった。青山善光寺[あおやまぜんこうじ]の仁王尊[におうそん]は昔[むかし]から有名[ゆうめい]で、その前[まえ]には大[おお]きい草鞋[わらじ]や下駄[げた]がたくさんに供[そな]えてある。奉納[ほうのう]の大[おお]きい石[いし]の香炉[こうろ]もある。その香炉[こうろ]に線香[せんこう]をそなえて、一心[いっしん]に拝[おが]んでいる若[わか]い男[おとこ]の姿[すがた]に、半七[はんしち]は眼[め]をつけた。
 彼[かれ]はまだ十八九[じゅうはっく]の色白[いろじろ]の男[おとこ]で、髪[かみ]の結[ゆ]い方[かた]といい、それが役者[やくしゃ]であることは一見[いっけん]して知[し]られた。彼[かれ]はしゃがんで俯向[うつむ]いて拝[おが]んでいた。その格好[かっこう]が彼[か]の和藤内[わとうない]の虎狩[とらがり]に働[はたら]いていた虎[とら]によく似[に]ているのを、半七[はんしち]は見逃[みの]がさなかった。あたかもそこへ十三四[じゅうさんし]の小娘[こむすめ]が二人連[ふたりづ]れで通[とお]りかかった。
「あら、あすこに照之助[てるのすけ]が拝[おが]んでいてよ」
 娘[むすめ]たちは若[わか]い役者[やくしゃ]を幾[いく]たびか見返[みかえ]りながら行[ゆ]き過[す]ぎるのを、半七[はんしち]は追[お]いかけて小声[こごえ]で訊[き]いた。
「あの役者[やくしゃ]はなんというのです」
「市川照之助[いちかわてるのすけ]……。浅川[あさかわ]の小屋[こや]に出[で]ているのです」と、娘[むすめ]のひとりが教[おし]えた。
「浅川[あさかわ]の芝居[しばい]……」と、半七[はんしち]はかんがえていた。「あの、小三[こさん]の芝居[しばい]に出[で]ているのじゃありませんか」
「そんな噂[うわさ]もありますけれど、男[おとこ]の役者[やくしゃ]ですから今[いま]までは浅川[あさかわ]の芝居[しばい]に出[で]ていたのですが……」と、他[ほか]の娘[むすめ]が云[い]った。
「いや、ありがとう」
 娘[むすめ]をやりすごして、半七[はんしち]はしばらく市川照之助[いちかわてるのすけ]のすがたを眺[なが]めていた。若[わか]い役者[やくしゃ]はなんにも知[し]らないように、いつまでも仁王尊[におうそん]に何事[なにごと]かを祈[いの]っていた。

236・宮本武蔵「風の巻」「はぐれた雁(4)(5)」


朗読「236風の巻78.mp3」9 MB、長さ: 約 9分 24秒

 

 そこでその事実[じじつ]を、彼女自身[かのじょじしん]が話[はな]すところによると、こうである。
 ――つい今[いま]し方[がた]のこと。
 彼女[かのじょ]が、この沢[さわ]の渓流[けいりゅう]を越[こ]え、そしてここからも見[み]える眼[め]の前[まえ]の――突兀[とっこつ]とした岩山[いわやま]の中腹[ちゅうふく]までかかって行[い]くと、ちょうどその山肌[やまはだ]の肋骨[あばら]の辺[あた]りになる岩頭[がんとう]に、世[よ]にも怖[おそ]ろしい妖怪[ようかい]が腰[こし]かけていて、月[つき]を眺[なが]めていたというのである。
 真面目[まじめ]には聞[き]かれない話[はなし]のようだが、朱実[あけみ]は真面目[まじめ]になって、
「遠[とお]くから見[み]たんですけれど、体[からだ]は侏儒[こびと]みたいに小[ちい]さいくせに、顔[かお]はといえば、大人並[おとななみ]の女[おんな]なのです。そして顔[かお]は、白[しろ]いのを通[とお]り越[こ]して何[なん]ともいえない色[いろ]を帯[お]び、唇[くち]は耳[みみ]までキュッと裂[さ]けていて、しかも、私[わたし]の方[ほう]を見[み]て、ニヤリと笑[わら]ったような気[き]がしたんです。――思[おも]わずその時[とき]、私[わたし]はキャッと叫[さけ]んでしまったものでしょう。無我夢中[むがむちゅう]でした。気[き]がついた時[とき]は、この沢[さわ]に辷[すべ]り落[お]ちていたんです」
 と、いう。
 いかにも恐[こわ]かったように、朱実[あけみ]がそう話[はな]すので、又八[またはち]は、笑[わら]うまいとしながらもつい、
「ハハハハ。なアんだ」
 と、揶揄[やゆ]して、
「伊吹山[いぶきやま]のふもとで育[そだ]ったおめえが、恐[こわ]いなんていうと、化[ば]け物[もの]のほうで顔負[かおま]けするだろう。燐[りん]の燃[も]えている戦場[いくさば]を歩[ある]いて、死骸[しがい]の太刀[たち]や鎧[よろい]を剥[は]いだことさえあるじゃねえか」
「でも、あの頃[ころ]は、恐[こわ]いこともなにも知[し]らなかった子供[こども]ですもの」
「まんざら子供[こども]でもなかったらしいぜ。その頃[ころ]のことを、いまだに胸[むね]に想[おも]って、忘[わす]れ切[き]れずにいるのを見[み]ても」
「それやあ、初[はじ]めて知[し]った恋[こい]ですもの。……だけどもう、私[わたし]はあの人[ひと]を、諦[あきら]めてはいるんですよ」
「じゃあなぜ、一乗寺村[いちじょうじむら]へなど出[で]かけて行[い]くのか」
「そこの気持[きもち]が自分[じぶん]にも分[わか]らないんです。ただ、ひょっとしたら武蔵様[むさしさま]に会[あ]えやしないかと思[おも]って」
「無駄[むだ]なこった」
 ひどくそこで、又八[またはち]は言葉[ことば]に力[ちから]をこめ、万[まん]に一[ひと]つも勝目[かちめ]のない武蔵[むさし]の立場[たちば]と、相手方[あいてがた]の情勢[じょうせい]とをいって聞[き]かせた。
 すでに清十郎[せいじゅうろう]から小次郎[こじろう]と――幾人[いくにん]かの男性[だんせい]を通[とお]って、処女[おとめ]であったきのうの自分[じぶん]が、もう思[おも]い出[で]のものになっている彼女[かのじょ]には、武蔵[むさし]を考[かんが]えたり想[おも]ったりすることも、もう処女[おとめ]であった頃[ころ]のように、未来[みらい]の花[はな]を夢想[むそう]して考[かんが]えることはできなくなっていた。肉体的[にくたいてき]にその資格[しかく]を失[うしな]った自分[じぶん]を冷[つめ]たく諦観[ていかん]して、死[し]にはぐれ、生[い]きはぐれながら、次[つぎ]の道[みち]をさがしている迷[まよ]える雁[かり]の一羽[いちわ]に似[に]ていた。
 だから彼女[かのじょ]は、又八[またはち]から、武蔵[むさし]が|今刻々[いまこっこく]、死[し]の危機[きき]へ近[ちか]づいている様子[ようす]を如実[にょじつ]に聞[き]いても、泣[な]くほどな気持[きもち]にはなって来[こ]なかった。――ではなぜ、こんなところまで、|恋々[れんれん]と彷徨[さまよ]ってきたかと訊[き]かれれば、その矛盾[むじゅん]も説明[せつめい]することのできない彼女[かのじょ]であった。
「…………」
 行[ゆ]くての方角[ほうがく]を失[うしな]ったような眸[ひとみ]をして、朱実[あけみ]は、又八[またはち]のことばを、夢[ゆめ]うつつに聞[き]いていた。又八[またはち]は、その横顔[よこがお]を黙[だま]って見[み]ていた。――なにかしら彼女[かのじょ]の彷徨[さまよ]っている所[ところ]と、自分[じぶん]の彷徨[さまよ]っている所[ところ]とが、似[に]ているように思[おも]われてならない。
(この女[おんな]は道[みち]づれを捜[さが]している――)
 そう見[み]える白[しろ]い横顔[よこがお]だった。
 又八[またはち]は、ふいに、彼女[かのじょ]の肩[かた]を抱[かか]えた。そして顔[かお]を押[お]しつけるようにして、
「朱実[あけみ]。江戸[えど]へ逃[に]げないか……」
 と、囁[ささや]いた。

 朱実[あけみ]は、息[いき]をのんだ。
 疑[うたが]うように、又八[またはち]の眼[め]をじっと見[み]つめ、
「え。……江戸[えど]へ?」
 ふと、自分[じぶん]に返[かえ]って、現実[げんじつ]の境遇[きょうぐう]を見直[みなお]すように反問[はんもん]した。
 彼女[かのじょ]の肩[かた]へ廻[まわ]している手[て]に、又八[またはち]はそっと力[ちから]をこめて、
「なにも江戸表[えどおもて]とは限[かぎ]らないが、人[ひと]の噂[うわさ]に聞[き]けば、関東[かんとう]の江戸表[えどおもて]こそこれからの日本[にほん]の覇府[はふ]になるだろうという話[はなし]だ。今[いま]までの大坂[おおさか]や京都[きょうと]はもう古[ふる]い都[みやこ]とされ、新幕府[しんばくふ]の江戸城[えどじょう]を繞[めぐ]って、新[あたら]しい町[まち]がどしどし建[た]っているそうだ。――そういう土地[とち]へ行[い]って逸早[いちはや]く割[わ]り込[こ]めばきっとなにかうまい仕事[しごと]があるだろう。おめえも俺[おれ]も、いわば群[む]れからはぐれた迷[まよ]い雁[がり]だ。……行[い]かないか。……行[い]ってみないか。……え、朱実[あけみ]」
 囁[ささや]かれている彼女[かのじょ]の顔[かお]がだんだん熱心[ねっしん]に聞[き]いていた。又八[またはち]はなお口[くち]を極[きわ]めて、世[よ]の中[なか]の広[ひろ]さや、自分[じぶん]たちの若[わか]い生命[いのち]を称[たた]えて、
「面白[おもしろ]く暮[くら]すんだ、したいことをして送[おく]るんだ。それでなけれや生[うま]れた甲斐[かい]はない。もっと俺[おれ]たちは図太[ずぶと]い肚[はら]を持[も]とうじゃねえか。線[せん]の太[ふと]い世渡[よわた]りをしなけりゃあ嘘[うそ]だ。生半可[なまはんか]、正直[しょうじき]に、善良[ぜんりょう]にと、量見[りょうけん]を良[よ]くしようとするほど、却[かえ]って運命[うんめい]ッて奴[やつ]は、人[ひと]を弄[なぶ]ったり皮肉[ひにく]ったり、ベソを掻[か]くようなことばかり仕向[しむ]けて来[き]やがって、碌[ろく]な道[みち]は拓[ひら]けて来[き]やしねえ。……え、朱実[あけみ]、おめえだってそうじゃねえか。お甲[こう]っていう女[おんな]にしろ、清十郎[せいじゅうろう]という男[おとこ]にしろ、そんな者[もの]の餌[え]になって、食[く]われているから悪[わる]いのだ。食[く]う人間[にんげん]にならなけれやあ、この世[よ]は強[つよ]く生[い]きちゃ行[い]かれねえぜ」
「…………」
 朱実[あけみ]は心[こころ]を動[うご]かされた。よもぎの寮[りょう]という家[いえ]から離[はな]れ離[ばな]れに世間[せけん]へ巣立[すだ]って、自分[じぶん]はその世間[せけん]に虐[さいな]まれて来[き]ただけであるが、さすがに又八[またはち]は男[おとこ]だけあって、以前[いぜん]よりもどこか慥[しっか]りしたところが人間[にんげん]に出来[でき]てきたように思[おも]われた。
 けれど、彼女[かのじょ]の頭[あたま]のどこかに、まだ捨[す]て難[がた]い幻影[げんえい]がちらちらしていた、それは武蔵[むさし]の影[かげ]であった。焼[や]けた家[いえ]の焼[や]け跡[あと]へ行[い]って灰[はい]でも眺[なが]めてみたいとする――愚[おろ]かな執着[しゅうちゃく]にそれは似[に]ていた。
「嫌[いや]か」
「…………」

 黙[だま]って、朱実[あけみ]はかぶりを振[ふ]った。
「じゃあ、行[い]こう。嫌[いや]でなければ――」
「だけど、又八[またはち]さん、おっ母[か]さんは、どうするつもり?」
「ア。おふくろか」
 又八[またはち]は、彼方[あなた]を見上[みあ]げて、
「おふくろは、武蔵[むさし]の遺物[かたみ]さえ手[て]に入[い]れれば、一人[ひとり]で故郷[くに]へ帰[かえ]って行[い]くさ。あのまま姥捨山[うばすてやま]のようなところに置[お]き去[ざ]りを食[く]ったと知[し]ったら、一時[いちじ]はかんかんに怒[おこ]るだろうが、なあに今[いま]に俺[おれ]が出世[しゅっせ]してやればそれで埋[う]め合[あわ]せはつく。――そうきまったら、急[いそ]ごうぜ」
 意気込[いきご]んで、先[さき]へ歩[ある]いて見[み]せると、朱実[あけみ]はまだなにか躊躇[ためら]って、
「又八[またはち]さん、ほかの道[みち]を行[い]きましょう、その道[みち]は」
 と、竦[すく]んでいう。
「なぜ」
「でも、その道[みち]を登[のぼ]って行[い]くとまた、あの山[やま]の肩[かた]に」
「アハハハ。口[くち]が耳[みみ]まで裂[さ]けている侏儒[こびと]が出[で]るというのか。俺[おれ]がついているから大丈夫[だいじょうぶ]だ。……アッいけねえ。お婆[ばば]の奴[やつ]が彼方[むこう]で呼[よ]んでやがる。侏儒[こびと]の妖怪[ばけもの]よりゃあ、おふくろの方[ほう]がよっぽど怖[こわ]いぞ。朱実[あけみ]、見[み]つかると大変[たいへん]だ、早[はや]く来[こ]いっ」
 ――駈[か]け上[あ]がって行[い]く二[ふた]つの影[かげ]が岩山[いわやま]の中腹[ちゅうふく]ふかく隠[かく]れ去[さ]った頃[ころ]、待[ま]ちくたびれたお杉婆[すぎばば]の声[こえ]が谷間[たにま]の上[うえ]で、
「せがれようっ……又八[またはち]ようっ……」
 空[むな]しく彷徨[さまよ]い歩[ある]いていた。

231・半七捕物帳54「唐人飴(2)」


朗読「半七54-2.mp3」 11MB、長さ: 約11 分 35秒

 

     二

 神田三河町[かんだみかわちょう]の半七[はんしち]の家[いえ]では、親分[おやぶん]と庄太[しょうた]が向[む]かい合[あ]っていた。
「だが、土地[とち]の奴[やつ]らも愚昧[ぼんくら]ですよ」と、庄太[しょうた]は笑[わら]った。「土地[とち]の奴[やつ]らはまあ仕方[しかた]がないとしても、町役人[ちょうやくにん]でも勤[つと]める奴[やつ]らはもう少[すこ]し眼[め]が明[あ]いていそうなものだが……。その腕[うで]は現場[げんば]で斬[き]られたものじゃあねえ、何処[どこ]からか捨[す]てに来[き]たのか、犬[いぬ]がくわえて来[き]たのか、二[ふた]つに一[ひと]つですよ。人間[にんげん]の腕一本[うでいっぽん]を斬[き]ったら、生血[なまち]がずいぶん出[で]る筈[はず]だが、そこらに血[ち]の痕[あと]なんか|碌々残[ろくろくのこ]っていやあしません」
「初[はじ]めにそれを見付[みつ]けたという常磐津[ときわず]の師匠[ししょう]はどんな女[おんな]だ」と、半七[はんしち]は訊[き]いた。
「実相寺門前[じっそうじもんまえ]にいる文字吉[もじよし]という女[おんな]で、わっしがたずねて行[い]ったときには、湯[ゆ]に行[い]ったとか云[い]うので留守[るす]でしたが、近所[きんじょ]の話[はなし]じゃあ何[なん]でも年[とし]は三十四五[さんじゅうしご]で、色[いろ]のあさ黒[ぐろ]い、力[りき]んだ顔[かお]の、容貌[きりょう]は悪[わる]くない女[おんな]だそうで……。浄瑠璃[じょうるり]は別[べつ]にうまいという程[ほど]でもねえが、なかなか良[い]い弟子[でし]があって、ずいぶん遠[とお]い所[ところ]から通[かよ]って来[く]るのがあるので、場末[ばすえ]の師匠[ししょう]にしては内福[ないふく]らしいという噂[うわさ]です」
「文字吉[もじよし]には旦那[だんな]も亭主[ていしゅ]もねえのか」と、半七[はんしち]はまた訊[き]いた。
「旦那[だんな]はあります」と、庄太[しょうた]は答[こた]えた。「原宿[はらじゅく]|町[まち]の倉田屋[くらたや]という酒屋[さかや]の亭主[ていしゅ]だそうですが、文字吉[もじよし]は感心[かんしん]にその旦那[だんな]ひとりを守[まも]っていて、ちっとも浮気[うわき]らしい事[こと]をしねえばかりか、その旦那[だんな]に遠慮[えんりょ]して男[おとこ]の弟子[でし]をいっさい取[と]らねえと云[い]うのです。今[いま]どきの師匠[ししょう]にゃあ珍[めず]らしいじゃありませんか」
「めずらしい方[ほう]だな。奉行所[ぶぎょうしょ]へ呼[よ]び出[だ]して、鳥目[ちょうもく]五貫文[ごかんもん]の御褒美[ごほうび]でもやるか」と、半七[はんしち]は笑[わら]った。
「師匠[ししょう]はまあそれとして、さてその腕[うで]の一件[いっけん]だが……。その唐人飴屋[とうじんあめや]というのは何奴[どいつ]かな。家[うち]はどこだ」
「四谷[よつや]の法善寺門前[ほうぜんじもんまえ]の虎吉[とらきち]という奴[やつ]だと聞[き]きましたから、実[じつ]は帰[かえ]り路[みち]に四谷[よつや]へまわって、北[きた]|町[まち]の法善寺門前[ほうぜんじもんまえ]を軒別[のきなみ]に洗[あら]ってみましたが、虎[とら]も熊[くま]も居[い]やあしません。野郎[やろう]、きっと出[で]たらめですよ」
「そうかも知[し]れねえ。だが、この広[ひろ]い江戸[えど]にも唐人飴[とうじんあめ]が五十人[ごじゅうにん]も百人[ひゃくにん]もいる筈[はず]はねえ。それからそれへと仲間[なかま]を洗[あら]って行[い]ったら、大抵[たいてい]わかるだろう」
「じゃあ、すぐに取[と]りかかりますか」
「ともかくもそうしなけりゃあなるめえ」と、半七[はんしち]は云[い]った。「丁度[ちょうど]いいことには、下[した]っ引[ぴき]の源次[げんじ]の友達[ともだち]に飴屋[あめや]がある筈[はず]だ。あいつと相談[そうだん]してやってくれ。おれも青山[あおやま]へ一度[いちど]行[い]ってみよう」
 云[い]いかけて、半七[はんしち]は又[また]かんがえた。
「なあ、庄太[しょうた]。土地[とち]の者[もの]はその飴屋[あめや]を隠密[おんみつ]だとか捕方[とりかた]だとか云[い]っているそうだが、よもやそんなことはあるめえな」
 隠密[おんみつ]や捕吏[とりて]が何[なに]かの恨[うら]みを受[う]けた為[ため]に、或[ある]いは何[なに]かの犯罪露顕[はんざいろけん]をふせぐ為[ため]に、闇討[やみう]ちに逢[あ]うようなことが無[な]いとは云[い]えない。もしそうならば、その片腕[かたうで]を人目[ひとめ]に触[ふ]れるような場所[ばしょ]へ捨[す]てる筈[はず]はあるまい。殊[こと]に証拠[しょうこ]となるべき唐人服[とうじんふく]の片袖[かたそで]をそのままに添[そ]えて置[お]くなどは余[あま]りに用心[ようじん]が足[た]らないように思[おも]われる。しかし又[また]、世間[せけん]には大胆[だいたん]な奴[やつ]があって、わざと面当[つらあ]てらしくそんな事[こと]をしないとも限[かぎ]らない。もしそうならば、あの辺[あたり]に住[す]む悪旗本[あくはたもと]か悪御家人[あくごけにん]などの仕業[しわざ]である。相手[あいて]が屋敷者[やしきもの]であると、その詮議[せんぎ]がむずかしいと半七[はんしち]は思[おも]った。
 そのうちに庄太[しょうた]は俄[にわ]かに叫[さけ]んだ。
「あ、いけねえ。飛[と]んだことを忘[わす]れていた。親分[おやぶん]、堪忍[かんにん]しておくんなせえ。実[じつ]はその腕[うで]はね、切[き]れ味[あじ]のいい物[もの]ですっぱりとやったのじゃあありません。短刀[たんとう]か庖丁[ほうちょう]でごりごりやったらしい。その傷口[きずぐち]がどうもそうらしく見[み]えましたよ」
「そうか」と、半七[はんしち]は更[さら]にかんがえた。そうすると、その下手人[げしゅにん]は屋敷者[やしきもの]では無[な]いらしい。なんにしても、ここで考[かんが]えていても果[は]てしが無[な]い。現場[げんば]を一応調[いちおうしら]べた上[うえ]で、臨機応変[りんきおうへん]の処置[しょち]を取[と]るのほかは無[な]いので、やはり最初[さいしょ]の予定通[よていどお]りに、まず飴屋[あめや]の仲間[なかま]を洗[あら]わせることにした。下[した]っ引[ぴき]の源次[げんじ]は下谷[したや]で飴屋[あめや]をしている。それと相談[そうだん]して万事[ばんじ]いいようにしろと、庄太[しょうた]に重[かさ]ねて云[い]い含[ふく]めた。
「ようがす。親分[おやぶん]はあした青山[あおやま]へ出[で]かけますかえ」
「日暮[ひぐ]れにさしかかって場末[ばすえ]へ踏[ふ]み出[だ]しても埓[らち]が明[あ]くめえ。あしたゆっくり出[で]かける事[こと]にしよう」
「それじゃあ、その積[つも]りでやります」
 庄太[しょうた]は約束[やくそく]して帰[かえ]った。帰[かえ]る時[とき]に、彼[かれ]はきょうの掘[ほ]り出[だ]し物[もの]を自慢[じまん]して、これも青山[あおやま]へ墓[はか]まいりに行[い]ったお蔭[かげ]であるから、死[し]んだ親父[おやじ]の引[ひ]き合[あ]わせかも知[し]れないなどと云[い]って、半七[はんしち]を笑[わら]わせた。まったく親[おや]は有難[ありがた]い、お前[まえ]のような不孝者[ふこうもの]にも掘[ほ]り出[だ]し物[もの]をさせてくれるとからかわれて、庄太[しょうた]はあたまを掻[か]いて帰[かえ]った。
 あくる朝[あさ]は晴[は]れていた。半七[はんしち]は八丁堀[はっちょうぼり]の屋敷[やしき]へ行[い]って、唐人飴[とうじんあめ]の探索[たんさく]に取[と]りかかることを一応報告[いちおうほうこく]した上[うえ]で、山[やま]の手[て]へぶらぶら上[のぼ]ってゆくと、時候[じこう]は旧暦[きゅうれき]の四月[しがつ]であるから、青山[あおやま]あたりは其[そ]の名[な]のように青葉[あおば]に包[つつ]まれていた。
 ここらの土地[とち]の姿[すがた]は明治以後著[めいじいごいちじる]しく変[かわ]ってしまって、殆[ほとん]ど昔[むかし]の跡[あと]をたずぬべきようも無[な]いが、こんにち繁昌[はんじょう]する青山[あおやま]の大通[おおどお]りは、すべて武家屋敷[ぶけやしき]であったと思[おも]えばよい。町屋[まちや]は善光寺門前[ぜんこうじもんまえ]と、この物語[ものがたり]にあらわれている久保町[くぼちょう]の一部[いちぶ]に過[す]ぎない。青山五丁目六丁目[あおやまごちょうめろくちょうめ]は百人町[ひゃくにんまち]の武家屋敷[ぶけやしき]で、かの瞽女節[ごぜぶし]でおなじみの「ところ青山百人町[あおやまひゃくにんまち]に、鈴木[すずき]|主水[もんど]という侍[さむらい]」はここに住[す]んでいたらしい。
 その寂[さび]しい場末[ばすえ]の屋敷町[やしきまち]にさしかかって、半七[はんしち]は思[おも]わず足[あし]を停[と]めた。芝居[しばい]の鳴[な]り物[もの]が耳[みみ]に入[はい]ったからである。江戸辺[えどあたり]から行[い]けば、右側[みぎがわ]が久保町[くぼちょう]で、その筋[すじ]むかいの左側[ひだりがわ]に梅窓院[ばいそういん]の観音[かんのん]がある。観音[かんのん]のとなりにも鳳閣寺[ほうかくじ]という真言宗[しんごんしゅう]の寺[てら]があって、芝居[しばい]の鳴[な]り物[もの]はその寺[てら]の境内[けいだい]からきこえて来[く]るのであった。
「むむ、小三[こさん]の芝居[しばい]か」
 江戸[えど]の劇場[げきじょう]は由緒[ゆいしょ]ある三座[さんざ]に限[かぎ]られていたが、神社仏閣[じんじゃぶっかく]の境内[けいだい]には宮芝居[みやしばい]または宮地芝居[みやじしばい]と称[しょう]して、小屋掛[こやが]けの芝居興行[しばいこうぎょう]を許[ゆる]されていた。勿論[もちろん]、丸太[まるた]に筵張[むしろば]りの観世物[みせもの]小屋同様[ごやどうよう]のものであるが、その土地相応[とちそうおう]に繁昌[はんじょう]していたのである。鳳閣寺[ほうかくじ]の宮芝居[みやしばい]は坂東小三[ばんどうこさん]という女役者[おんなやくしゃ]の一座[いちざ]で、ここらではなかなかの人気者[にんきもの]であることを半七[はんしち]は知[し]っていた。
 小三[こさん]の名[な]は知[し]っていたが、半七[はんしち]は曾[かつ]てその芝居[しばい]を覗[のぞ]いたことはないので、一体[いったい]どんな様子[ようす]かと、鳴[な]り物[もの]に誘[さそ]われて境内[けいだい]へはいると、型[かた]ばかりの小屋[こや]の前[まえ]には、古[ふる]い幟[のぼり]や新[あたら]しい幟[のぼり]が七[しち]、八本[はっぽん]も立[た]ちならんで、女[おんな]や子供[こども]が表看板[おもてかんばん]をながめているのが、葉桜[はざくら]のあいだに見[み]いだされた。小屋[こや]のなかでは鉦[かね]や太鼓[たいこ]をさわがしく叩[たた]き立[た]てていた。和藤内[わとうない]の虎狩[とらがり]が今[いま]や始[はじ]まっているのである。看板[かんばん]にも国姓爺[こくせんや]合戦[がっせん]と筆太[ふでぶと]にしるしてあった。
「国姓爺[こくせんや]か。大物[おおもの]をやるな」
 半七[はんしち]はふと何事[なにごと]かを考[かんが]え付[つ]いたので、十六文[じゅうろくもん]の木戸銭[きどせん]を払[はら]ってはいった。虎狩[とらがり]の場[ば]に出[で]るのは、和藤内[わとうない]の母[はは]と和藤内[わとうない]と、唐人[とうじん]と虎[とら]だけである。座頭[ざがしら]の小三[こさん]が和藤内[わとうない]に扮[ふん]して、お粗末[そまつ]な縫[ぬ]いぐるみの虎[とら]を相手[あいて]に大立[おおた]ち廻[まわ]りを演[えん]じていた。それだけを見物[けんぶつ]して、半七[はんしち]はもう帰[かえ]ろうとしたが、また思[おも]い直[なお]して次[つぎ]の一幕[ひとまく]を見物[けんぶつ]した。次[つぎ]は楼門[ろうもん]の場[ば]である。
 この場[ば]には和藤内[わとうない]の父母[ふぼ]と、和藤内[わとうない]と錦祥女[きんしょうじょ]と、唐人[とうじん]と唐女[とうじょ]が出[で]る。錦祥女[きんしょうじょ]は小三[こさん]の弟子[でし]の小三津[こみつ]というのが勤[つと]めていた。舞台顔[ぶたいかお]で本当[ほんとう]の年[とし]を測[はか]るのはむずかしいが、小三津[こみつ]はせいぜい二十四五[にじゅうしご]であるらしく、眼鼻立[めはなだ]ちの整[ととの]った細面[ほそおもて]で、ここらの芝居[しばい]の錦祥女[きんしょうじょ]には好過[よす]ぎるくらいの容貌[きりょう]であった。木戸銭十六文[きどせんじゅうろくもん]の宮芝居[みやしばい]であるから、鬘[かつら]も衣裳[いしょう]も惨[みじ]めなほどに粗末[そまつ]であるのを、半七[はんしち]は可哀[かわい]そうに思[おも]った。
 虎狩[とらがり]の場[ば]に出[で]る虎[とら]もなかなかよく動[うご]いた。虎[とら]にしては胴体[どうたい]が小[ちい]さく、なんだか犬[いぬ]のようにも見[み]えたが、身軽[みがる]に飛[と]び廻[まわ]って、二[に]、三度[さんど]も宙返[ちゅうがえ]りを打[う]ったりして、大[おお]いに観客[かんきゃく]を喜[よろこ]ばせていた。女役者[おんなやくしゃ]にこんな芸[げい]の出来[でき]る筈[はず]はない。虎[とら]は男[おとこ]が縫[ぬ]いぐるみを被[かぶ]っているに相違[そうい]ないと、半七[はんしち]は鑑定[かんてい]した。

235・宮本武蔵「風の巻」「はぐれた雁(2)(3)」


朗読「235風の巻77.mp3」7 MB、長さ: 約 8分 09秒

 

 どこともわからない、たった一声[ひとこえ]したきりの悲鳴[ひめい]だった。次[つぎ]の悲鳴[ひめい]がしたら声[こえ]の方角[ほうがく]も的確[てきかく]に知[し]れよう。――それを待[ま]つもののように、又八[またはち]も婆[ばば]も、じっと空虚[うつろ]な顔[かお]して、疑惑[ぎわく]の中[なか]に立[た]ちすくんでいた。
「……あっ?」
 突然[とつぜん]、お杉婆[すぎばば]がこういったのは、その不審[ふしん]な悲鳴[ひめい]がまた聞[きこ]えたのではなく、なに思[おも]ったか、又八[またはち]が不意[ふい]に、崖[がけ]の角[かど]につかまって、そこから谷[たに]へ降[お]りて行[い]こうとする様子[ようす]を見[み]たからであった。
「ど、どこへ行[い]くのじゃ」
 あわてて、咎[とが]めると、
「この下[した]の沢[さわ]だ」
 もう崖道[がけみち]へ身[み]を沈[しず]めかけながら又八[またはち]がいう。
「おふくろ、ちょっと、そこに待[ま]っていてくれ。――見[み]て来[く]るから」
「阿呆[あほう]」
 お杉婆[すぎばば]は、つい、いつもの口癖[くちぐせ]を出[だ]して、
「なにを捜[さが]しに行[い]くのじゃ、なにを? ……」
「なにをッて、今[いま]、聞[きこ]えたじゃねえか、女[おんな]の悲鳴[ひめい]が」
「そんなもの尋[たず]ねてどうする気[き]かよ。――あれっ、阿呆[あほう]、止[や]めいというに、止[や]めいというに」
 上[うえ]から婆[ばば]が喚[おめ]いているまに、又八[またはち]は耳[みみ]もかさず、木[き]の根[ね]にすがりながら深[ふか]い沢[さわ]へ降[お]りてしまった。
「ばっ、ばか者[もの]っ」
 と月[つき]へ罵[ののし]っている老母[ろうぼ]のすがたを、又八[またはち]は深[ふか]い沢[さわ]の底[そこ]から、木[こ]の間[ま]越[ご]しに見上[みあ]げていた。
「――待[ま]ってろようっ、そこで」
 下[した]から呶鳴[どな]ったが、その声[こえ]がお杉[すぎ]には届[とど]いて行[い]かないほど、彼[かれ]の降[お]りて来[き]た崖[がけ]は深[ふか]かった。
「はてな?」
 又八[またはち]はすこし後悔[こうかい]した。たしかにさっきの悲鳴[ひめい]はこの沢[さわ]の辺[あた]りのように思[おも]われたが、もし違[ちが]っていると、無駄骨[むだぼね]を折[お]ることになる。
 ――しかし月[つき]の光[ひかり]も届[とど]かないほどなこの沢[さわ]も、よく眼[め]を働[はたら]かしてみると小道[こみち]がある。山[やま]といっても元[もと]よりこの辺[あた]りの山[やま]なのでそう深[ふか]かろうはずはない。それに京都[きょうと]から志賀[しが]の坂本[さかもと]や大津[おおつ]へ通[かよ]う近道[ちかみち]でもあるので、どこへ降[お]りても市人[いちびと]の踏[ふ]んだ足[あし]の痕[あと]が必[かなら]ずついている。
 さらさらと小[ちい]さな滝[たき]や瀬[せ]になって落[お]ちてゆく水[みず]に従[つ]いて、又八[またはち]は歩[ある]いて行[い]った。すると、その流[なが]れを横断[おうだん]して左右[さゆう]の山[やま]の中腹[ちゅうふく]へわたっている一筋[ひとすじ]の道[みち]があった。彼[かれ]が発見[はっけん]したのは、ちょうどその道筋[みちすじ]にあたっている渓流[けいりゅう]の側[そば]であった。
 石魚[いわな]突[つ]きの寝泊[ねとま]りする石魚小屋[いわなごや]かも知[し]れない。ほんの人間[にんげん]ひとり入[はい]れるぐらいなほッ建小屋[たてごや]がそこにある。――その小屋[こや]の後[うし]ろに這[は]い屈[かが]まっている人間[にんげん]の白[しろ]い顔[かお]と手[て]とをちらと見[み]たのである。
「……女[おんな]だ?」
 又八[またはち]は、岩[いわ]の蔭[かげ]にかくれた。さっきの悲鳴[ひめい]も、女[おんな]のであればこそ彼[かれ]は猟奇[りょうき]な興奮[こうふん]に駆[か]られたのである。男[おとこ]の声[こえ]であったら最初[さいしょ]からこんな沢[さわ]へ降[お]りては来[こ]ないだろう。――それが今[いま]、その正体[しょうたい]を窺[うかが]ってみると、確[たし]かに女[おんな]で、しかも若[わか]いらしい。
 ――何[なに]をしているのか?
 と最初[さいしょ]は疑[うたが]っていたが、見[み]ていると、疑[うたが]いはすぐ解[と]けた。女[おんな]は、流[なが]れのそばへ這[は]い寄[よ]って、白[しろ]い掌[て]に水[みず]を掬[すく]って、唇[くち]へ移[うつ]しているのであった。

 びくっと、女[おんな]は鋭感[えいかん]に振[ふ]り顧[かえ]った。又八[またはち]の跫音[あしおと]を、昆虫[こんちゅう]のように体[からだ]で感[かん]じて、すぐ起[た]ちかけそうな眼[め]であった。
「――おやっ?」
 又八[またはち]が、声[こえ]を放[はな]つと、
「あっ?」
 女[おんな]も同[おな]じように驚[おどろ]いていった。しかしそれは、恐怖[きょうふ]から救[すく]われたような声[こえ]だった。
「朱実[あけみ]じゃねえか」
「……あ、あ」
 そこの谷川[たにがわ]で飲[の]んだ水[みず]が、やっと今[いま]、胸[むね]へ下[さ]がったように、朱実[あけみ]は大[おお]きく息[いき]をついた。
 けれどまだ何処[どこ]かおどおどしているその肩[かた]をつかまえて、
「どうしたんだ朱実[あけみ]」
 又八[またはち]は、彼女[かのじょ]の脚[あし]から顔[かお]を見上[みあ]げて、
「おめえも、旅支度[たびじたく]だな、旅[たび]へ立[た]つにしても、こんな所[ところ]を今頃[いまごろ]――なにしに歩[ある]いているのだ」
「又八[またはち]さん。あなたのおっ母[か]さんは?」
「おふくろか、おふくろは、この谷間[たにま]の上[うえ]に待[ま]たせてある」
「怒[おこ]っていたでしょう」
「あ、路銀[ろぎん]のことか」
「わたしは急[きゅう]に、旅立[たびだ]ちしなければならなくなったのです。けれど、旅籠[はたご]の借銭[しゃくせん]も払[はら]えないし、路用[ろよう]のお金[かね]もないので、悪[わる]いことと知[し]りながら、おばばさんの荷物[にもつ]と一緒[いっしょ]にあった紙入[かみい]れを、つい出来心[できごころ]で、黙[だま]って、持[も]って来[き]てしまった。……又八[またはち]さん、堪忍[かんにん]してください。そして、わたしを見逃[みのが]して下[くだ]さい。きっと後[あと]で返[かえ]しますから」
 さめざめと泣[な]き声[ごえ]の裡[うち]に、朱実[あけみ]が謝[あやま]るのを、又八[またはち]はむしろ意外[いがい]な顔[かお]して、
「おい、おい。なにをそう謝[あやま]るのだ。……アア分[わか]った。俺[おれ]とおふくろが二人[ふたり]して、おめえを捕[つか]まえるために、ここへ追[お]いかけて来[き]たと勘違[かんちが]いしているんじゃねえか」
「でも、わたしは、出来心[できごころ]にしろ他人[ひと]様[さま]のお金[かね]を盗[と]って逃[に]げたんですから、捕[つか]まれば、泥棒[どろぼう]といわれても仕方[しかた]がありませんもの」
「それやあ、俺[おれ]のおふくろの云[い]い草[ぐさ]だ。俺[おれ]にとれば、あれぐらいな金[かね]、おめえが真実困[しんじつこま]っているならこっちからやりたいくらいだ。なんとも思[おも]っちゃいねえから、そんな心配[しんぱい]はしないがいい。――それよりはなんのために、急[きゅう]に旅支度[たびじたく]して、こんな所[ところ]を今頃歩[いまごろある]いているのか」
「旅籠[はたご]の離[はな]れで、あなたがおっ母[か]さんに話[はな]していたことを、ふと、蔭[かげ]で聞[き]いていたものですから」
「フーム、すると、武蔵[むさし]と吉岡勢[よしおかぜい]との、きょうの果[はた]し合[あ]いの一件[いっけん]だな」
「……ええ」
「それで急[きゅう]に、一乗寺村[いちじょうじむら]へ行[い]くつもりでやって来[き]たのか」
「…………」
 朱実[あけみ]は答[こた]えなかった。
 一[ひと]つ家[いえ]に暮[くら]していた頃[ころ]から、朱実[あけみ]が胸[むね]に秘[かく]していたものは何[なに]か、それは又八[またはち]もよく知[し]っていた。――で彼[かれ]は、深[ふか]くは問[と]わずに、
「そうそう」
 急[きゅう]に言葉[ことば]を変[か]えて、
「今[いま]し方[がた]、この辺[へん]で、キャーッという悲鳴[ひめい]が聞[き]えたが、あれはもしや、おめえの声[こえ]ではなかったか」
 と、この沢[さわ]へ降[お]りて来[き]た目的[もくてき]に返[かえ]って、そう訊[き]くと、
「エ。わたしでした」
 朱実[あけみ]はうなずいた。
 そしてまだなにか、恐怖[きょうふ]の夢[ゆめ]でも見[み]ているように、この沢[さわ]の窪[くぼ]から突兀[とっこつ]と空[そら]に黒[くろ]く見[み]えている山[やま]の肩[かた]を振[ふ]り仰[あお]いだ。

230・半七捕物帳54「唐人飴(1)」


朗読「半七54-1.mp3」16 MB、長さ: 約 17分 31秒

 

半七捕物帳[はんしちとりものちょう] 54
唐人飴[とうじんあめ]
岡本綺堂[おかもときどう]

     一

 こんにちでも全[まった]く跡[あと]を絶[た]ったというのではないが、東京市中[とうきょうしちゅう]に飴売[あめう]りのすがたを見[み]ることが少[すく]なくなった。明治時代[めいじじだい]までは鉦[かね]をたたいて売[う]りに来[く]る飴売[あめう]りがすこぶる多[おお]く、そこらの辻[つじ]に屋台[やたい]の荷[に]をおろして、子[こ]どもを相手[あいて]にいろいろの飴細工[あめざいく]を売[う]る。この飴細工[あめざいく]と糝粉[しんこ]細工[ざいく]とが江戸時代[えどじだい]の形見[かたみ]といったような大道[だいどう]商人[あきんど]であったが、キャラメルやドロップをしゃぶる現代[げんだい]の子[こ]ども達[たち]からだんだんに見捨[みす]てられて、東京市[とうきょうし]のまん中[なか]からは昔[むかし]の姿[すがた]を消[け]して行[い]くらしく、場末[ばすえ]の町[まち]などで折[お]りおりに見[み]かける飴売[あめう]りにも若[わか]い人[ひと]は殆[ほとん]ど無[な]い。おおかたは水洟[みずっぱな]をすすっているような老人[ろうじん]であるのも、そこに移[うつ]り行[い]く世[よ]のすがたが思[おも]われて、一種[いっしゅ]の哀愁[あいしゅう]を誘[さそ]い出[だ]さぬでもない。
 その飴売[あめう]りのまだ相当[そうとう]に繁昌[はんじょう]している明治時代[めいじじだい]の三月[さんがつ]の末[すえ]、麹町[こうじまち]の山王山[さんのうさん]の桜[さくら]がやがて咲[さ]き出[だ]しそうな、うららかに晴[は]れた日[ひ]の朝[あさ]である。わたしは例[れい]のごとく半七老人[はんしちろうじん]をたずねようとして、赤坂[あかさか]の通[とお]りをぶらぶら歩[ある]いてゆくと、路[みち]ばたには飴屋[あめや]の屋台[やたい]を取[と]りまいて二[に]、三人[さんにん]の子[こ]どもが立[た]っている。
 それは其[そ]の頃[ころ]の往来[おうらい]にしばしば見[み]る風景[ふうけい]の一[ひと]つで、別[べつ]に珍[めず]らしいことでも無[な]かったが、近[ちか]づくにしたがって私[わたし]に少[すこ]しく不思議[ふしぎ]を感[かん]じさせたのは、ひとりの老人[ろうじん]がその店[みせ]の前[まえ]に突[つ]っ立[た]って、飴売[あめう]りの男[おとこ]と頻[しき]りに話[はな]し込[こ]んでいることであった。彼[かれ]は半七老人[はんしちろうじん]で、あさ湯帰[ゆがえ]りらしい濡[ぬ]れ手拭[てぬぐい]をぶら下[さ]げながら、暖[あたたか]い朝日[あさひ]のひかりに半面[はんめん]を照[て]らさせていた。
 半七老人[はんしちろうじん]と飴細工[あめざいく]、それが不調和[ふちょうわ]の対照[たいしょう]とも見[み]えなかったが、平生[へいぜい]から相当[そうとう]に他人[ひと]のアラを云[い]うこの老人[ろうじん]としては、朝[あさ]っぱらから飴屋[あめや]の店[みせ]を覗[のぞ]いているなどは、いささか年甲斐[としがい]のないようにも思[おも]われた。この老人[ろうじん]を嚇[おど]すというほどの悪意[あくい]でもなかったが、わたしは幾[いく]らか足音[あしおと]を忍[しの]ばせるように近寄[ちかよ]って、老人[ろうじん]のうしろから不意[ふい]に声[こえ]をかけた。
「お早[はよ]うございます」
「やあ、これは……」と、老人[ろうじん]は急[きゅう]に振[ふ]り返[かえ]って笑[わら]った。
「又[また]お邪魔[じゃま]に出[で]ようと思[おも]いまして……」
「さあ、いらっしゃい」
 老人[ろうじん]は飴売[あめう]りに別[わか]れて、わたしと一緒[いっしょ]にあるき出[だ]した。
「あの飴屋[あめや]は芝居茶屋[しばいぢゃや]の若[わか]い衆[しゅ]でね」と、老人[ろうじん]は話[はな]した。「飴細工[あめざいく]が器用[きよう]に出来[でき]るので、芝居[しばい]の休[やす]みのあいだは飴屋[あめや]になって稼[かせ]いでいるんです」
 成程[なるほど]その飴売[あめう]りは三十前後[さんじゅうぜんご]の小粋[こいき]な男[おとこ]で、役者[やくしゃ]の紋[もん]を染[そ]めた手拭[てぬぐい]を肩[かた]にかけていた。その頃[ころ]の各劇場[かくげきじょう]は毎月開場[まいつきかいじょう]すること無[な]く、一年[いちねん]に五[ご]、六回[ろっかい]か四[し]、五回[ごかい]の開場[かいじょう]であるから、劇場[げきじょう]の出方[でかた]や茶屋[ちゃや]の若[わか]い者[もの]などは、休場中[きゅうじょうちゅう]に思[おも]い思[おも]いの内職[ないしょく]を稼[かせ]ぐのが習[なら]いで、焼鳥屋[やきとりや]、おでん屋[や]、飴屋[あめや]、糝粉[しんこ]屋[や]のたぐいに化[ば]けるのもあった。したがって、それらの商人[しょうにん]の中[なか]にはなかなか粋[いき]な男[おとこ]が忍[しの]んでいる。芝居[しばい]の話[はなし]、花柳界[かりゅうかい]の話[はなし]、なんでも来[こ]いというような者[もの]もあって、大道商人[だいどうしょうにん]といえども迂濶[うかつ]に侮[あなど]りがたい時代[じだい]であった。かの飴屋[あめや]もその一人[ひとり]で、半七老人[はんしちろうじん]とは芝居[しばい]でのお馴染[なじみ]であることが判[わか]った。
 家[いえ]へゆき着[つ]いて、例[れい]の横六畳[よころくじょう]の座敷[ざしき]へ通[とお]されたが、飴[あめ]の話[はなし]はまだ終[おわ]らなかった。
「今[いま]の人[ひと]たちは飴細工[あめざいく]とばかり云[い]うようですが、むかしは飴[あめ]の鳥[とり]とも云[い]いました」と、老人[ろうじん]は説明[せつめい]した。「後[のち]にはいろいろの細工[さいく]をするようになりましたが、最初[さいしょ]は鳥[とり]の形[かたち]をこしらえたものだそうです。そこで、飴細工[あめざいく]を飴[あめ]の鳥[とり]と云[い]います。ひと口[くち]に飴屋[あめや]と云[い]っても、むかしはいろいろの飴屋[あめや]がありました。そのなかで変[かわ]っているのは唐人[とうじん]飴[あめ]で、唐人[とうじん]のような風俗[ふうぞく]をして売[う]りに来[く]るんです。これは飴細工[あめざいく]をするのでなく、ぶつ切[き]りの飴[あめ]ん棒[ぼう]を一本二本[いっぽんにほん]ずつ売[う]るんです」
「じゃあ、和国橋[わこくばし]の髪結[かみゆ]い藤次[とうじ]の芝居[しばい]に出[で]る唐人市兵衛[とうじんいちべえ]、あのたぐいでしょう」
「そうです、そうです。更紗[さらさ]でこしらえた唐人服[とうじんふく]を着[き]て、鳥毛[とりけ]の付[つ]いた唐人笠[とうじんがさ]をかぶって、沓[くつ]をはいて、鉦[かね]をたたいて来[く]るのもある、チャルメラを吹[ふ]いて来[く]るのもある。子供[こども]が飴[あめ]を買[か]うと、お愛嬌[あいきょう]に何[なに]か訳[わけ]のわからない唄[うた]を歌[うた]って、カンカンノウといったような節廻[ふしまわ]しで、変[へん]な手付[てつ]きで踊[おど]って見[み]せる。まったく子供[こども]だましに相違[そうい]ないのですが、なにしろ形[かたち]が変[かわ]っているのと、変[へん]な踊[おど]りを見[み]せるのとで、子供[こども]たちのあいだには人気[にんき]がありました。いや、その唐人飴[とうじんあめ]のなかにもいろいろの奴[やつ]がありまして……」
 そら来[き]たと、わたしは思[おも]わず居住[いずま]いを直[なお]すと、老人[ろうじん]はにやにやと笑[わら]い出[だ]した。
「うっかりと口[くち]をすべらせた以上[いじょう]、どうであなたの地獄耳[じごくみみ]が聞[き]き逃[のが]す筈[はず]はありません。話[はな]しますよ。まあ、ゆっくりとお聴[き]きください」
 有名[ゆうめい]の和蘭[おらんだ]医師高野長英[いしたかのちょうえい]が姓名[せいめい]を変[へん]じて青山百人[あおやまひゃくにん]|町[まち](現今[げんこん]の南町六丁目[みなみまちろくちょうめ])にひそみ、捕吏[とりかた]にかこまれて自殺[じさつ]したのは、嘉永[かえい]三年[さんねん]十月[じゅうがつ]の晦日[みそか]である。その翌年[よくねん]の四月[しがつ]、この「半七捕物帳[はんしちとりものちょう]」で云[い]えば、かの『大森[おおもり]の鶏[にわとり]』の一件[いっけん]から三月[みつき]の後[あと]、青山百人町[あおやまひゃくにんまち]を中心[ちゅうしん]として、さらに新[あたら]しい事件[じけん]が出来[しゅったい]した。
 江戸[えど]の地図[ちず]を見[み]れば判[わか]るが、青山[あおやま]には久保[くぼ]|町[ちょう]という町[まち]があった。明治以後[めいじいご]は青山北町四丁目[あおやまきたまちよんちょうめ]に編入[へんにゅう]されてしまったが、江戸時代[えどじだい]には緑町[みどりちょう]、山尻町[やまじりちょう]などに接続[せつぞく]して、武家屋敷[ぶけやしき]のあいだに町屋[まちや]の一郭[いっかく]をなしていたのである。久保町[くぼちょう]には高徳寺[こうとくじ]という浄土宗[じょうどしゅう]の寺[てら]があって、そこには芝居[しばい]や講談[こうだん]でおなじみの河内山[こうちやま]宗春[そうしゅん]の墓[はか]がある。その高徳寺[こうとくじ]にならんで熊野[くまの]|権現[ごんげん]の社[やしろ]があるので、それに通[つう]ずる横町[よこちょう]を俗[ぞく]に御熊野横町[おくまのよこちょう]と呼[よ]んでいた。
 御熊野横町[おくまのよこちょう]の名[な]は昔[むかし]から呼[よ]び習[なら]わしていたのであるが、近年[きんねん]は更[さら]に羅生門横町[らしょうもんよこちょう]という綽[あだ]名[な]が出来[でき]た。よし原[はら]に羅生門河岸[らしょうもんがし]の名[な]はあるが、青山[あおやま]にも羅生門[らしょうもん]が出来[でき]たのである。その由来[ゆらい]を説明[せつめい]すると長[なが]くなるが、要[よう]するに嘉永二年[かえいにねん]と三年[さんねん]との二年間[にねんかん]に、毎年一度[まいとしいちど]ずつここに刃傷沙汰[にんじょうざた]があって、二度[にど]ながら其[そ]の被害者[ひがいしゃ]は片腕[かたうで]を斬[き]り落[お]とされたのである。江戸時代[えどじだい]でも腕[うで]を斬[き]り落[お]とされるのは珍[めず]らしい。それが不思議[ふしぎ]にも二年[にねん]つづいたので、渡辺綱[わたなべつな]が鬼[おに]の腕[うで]を斬[き]ったのから思[おも]い寄[よ]せて、誰[だれ]が云[い]い出[だ]したとも無[な]しに羅生門横町[らしょうもんよこちょう]の名[な]が生[う]まれたのである。
 この久保町[くぼちょう]、緑町[みどりちょう]、百人町[ひゃくにんまち]のあたりへ、去年[きょねん]の夏[なつ]の末頃[すえごろ]から彼[か]の唐人飴[とうじんあめ]を売[う]る男[おとこ]が来[き]た。ここらには珍[めず]らしいので相当[そうとう]の商売[しょうばい]になっているらしかったが、これを誰[だれ]が云[い]い出[だ]したか知[し]らず、あの飴屋[あめや]は唯[ただ]の飴屋[あめや]でなく、実[じつ]は公儀[こうぎ]の隠密[おんみつ]であるという噂[うわさ]が立[た]った。そのうちに高野長英[たかのちょうえい]の捕物[とりもの]一件[いっけん]が出来[しゅったい]して、長英[ちょうえい]は短刀[たんとう]を以[も]って捕手[とりて]の一人[ひとり]を刺[さ]し殺[ころ]し、更[さら]に一人[ひとり]に傷[きず]を負[お]わせ、自分[じぶん]も咽喉[のど]を突[つ]いて自殺[じさつ]するという大活劇[だいかつげき]を演[えん]じたので、近所[きんじょ]の者[もの]は胆[きも]を冷[ひ]やした。そうして、かの唐人飴[とうじんあめ]は公儀[こうぎ]の隠密[おんみつ]か、町方[まちかた]の手先[てさき]が変装[へんそう]して、長英[ちょうえい]の探索[たんさく]に立[た]ち廻[まわ]っていたに相違[そうい]ないということになった。
 ところが、その唐人飴[とうじんあめ]は長英[ちょうえい]一件[いっけん]の後[あと]も相変[あいかわ]らず商売[しょうばい]に廻[まわ]って来[き]た。飴売[あめう]りは年[とし]ごろ二十二三[にじゅうにさん]の、色[いろ]の小白[こじろ]い、人柄[ひとがら]の悪[わる]くない男[おとこ]で、誰[だれ]に対[たい]しても愛嬌[あいきょう]を振[ふ]り撒[ま]いているので、内心[ないしん]はなんだか薄気味悪[うすきみわる]いと思[おも]いながらも、特[とく]に彼[かれ]を忌[い]み嫌[きら]う者[もの]もなかった。彼[かれ]も平気[へいき]で長英[ちょうえい]の噂[うわさ]などをしていた。そのうちに、その年[とし]の冬[ふゆ]から翌年[よくねん]の春[はる]にかけて、ここらで盗難[とうなん]がしばしば続[つづ]いた。
「あの唐人飴[とうじんあめ]は泥坊[どろぼう]かも知[し]れない」
 人[ひと]の噂[うわさ]は不思議[ふしぎ]なもので、最初[さいしょ]は捕吏[とりて]かと疑[うたが]われていた彼[かれ]が、今度[こんど]は反対[はんたい]に盗賊[とうぞく]かと疑[うたが]われるようになった。昼間[ひるま]は飴[あめ]を売[う]りあるいて|家々[いえいえ]の様子[ようす]をうかがい、夜[よる]は盗賊[とうぞく]に変[へん]じて仕事[しごと]をするのであろうという。実際[じっさい]そんなことが無[な]いとも云[い]えないので、その噂[うわさ]を信[しん]ずる者[もの]も相当[そうとう]にあったが、さりとて確[たし]かな証拠[しょうこ]も無[な]いのでどうすることも出来[でき]なかった。
「あの飴屋[あめや]が来[き]ても買[か]うのじゃあないよ」
 土地[とち]の人[ひと]たちは子供[こども]らを戒[いまし]めて、飴[あめ]を買[か]わせないようにした。商売[しょうばい]がなければ、自然[しぜん]に来[こ]なくなるであろうと思[おも]ったのである。こうして土地[とち]の人[ひと]たちから遠[とお]ざけられているにも拘[かかわ]らず、彼[かれ]はやはり商売[しょうばい]に廻[まわ]って来[き]た。子供[こども]が買[か]っても買[か]わなくても、かれは鉦[かね]をたたいて、おかしな唄[うた]を歌[うた]って、唐人[とうじん]のカンカン踊[おど]りを見[み]せていた。この頃[ごろ]は|碌々[ろくろく]に商売[しょうばい]もないのに、根[こん]よく廻[まわ]って来[く]るのは怪[あや]しいと、|人々[ひとびと]はいよいよ白[しろ]い眼[め]を以[も]って彼[かれ]を見[み]るようになったが、彼[かれ]は一向[いっこう]に平気[へいき]であるらしかった。或[あ]る人[ひと]がその名[な]を訊[き]いたらば、虎吉[とらきち]と答[こた]えた。家[いえ]は四谷[よつや]の法善寺門前[ほうぜんじもんまえ]であると云[い]った。
 四月十一日[しがつじゅういちにち]の朝[あさ]である。久保町[くぼちょう]の豆腐屋定助[とうふやさだすけ]が商売柄[しょうばいがら]だけに早起[はやお]きをして、豆腐[とうふ]の碓[うす]を挽[ひ]いていると、まだ薄暗[うすぐら]い店先[みせさき]から一人[ひとり]の女[おんな]が転[ころ]げるように駈[か]け込[こ]んで来[き]た。
「ちょいと、大変[たいへん]……。あたし、本当[ほんとう]にびっくりしてしまった」
 女[おんな]は、この町内[ちょうない]の実相寺門前[じっそうじもんまえ]に住[す]む常磐津[ときわず]の師匠文字吉[ししょうもじよし]で、なんの願[がん]があるか知[し]らないが、早朝[そうちょう]に熊野[くまの]さまへ参詣[さんけい]に出[で]てゆくと、御熊野横町[おくまのよこちょう]、即[すなわ]ち彼[か]の羅生門横町[らしょうもんよこちょう]で人間[にんげん]の片腕[かたうで]を見付[みつ]けたと云[い]うのである。
「あの羅生門横町[らしょうもんよこちょう]で……。又[また]、人間[にんげん]の腕[うで]が……」
 定助[さだすけ]も顔[かお]の色[いろ]を変[か]えた。しかも彼[かれ]は自分[じぶん]ひとりで見届[みとど]けに行[い]くのを恐[おそ]れて、文字吉同道[もじよしどうどう]で先[ま]ず町[ちょう]役人[やくにん]の門[かど]を叩[たた]いた。それから近所[きんじょ]へも触[ふ]れて歩[ある]いた。
 人間[にんげん]の腕[うで]が往来[おうらい]に落[お]ちていたというのは、勿論一[もちろんひと]つの椿事[ちんじ]|出来[しゅったい]に相違[そうい]ないが、それが彼[か]の羅生門横町[らしょうもんよこちょう]であるだけに、一層[いっそう]ここらの|人々[ひとびと]を騒[さわ]がせた。これで腕斬[うでき]りが三年[さんねん]つづく事[こと]になるのであるから、御幣[ごへい]かつぎの者[もの]でなくても、又[また]かと顔[かお]をしかめるのが人情[にんじょう]である。近所近辺[きんじょきんぺん]の|人々[ひとびと]は寝[ね]ぼけ眼[まなこ]をこすりながら、われ先[さき]にと羅生門横町[らしょうもんよこちょう]へ駈[か]けつけると、彼等[かれら]をおどろかす種[たね]がまた殖[ふ]えた。
「あの腕[うで]は……。唐人飴屋[とうじんあめや]だ」
 往来[おうらい]に落[お]ちていたのは男[おとこ]の左[ひだり]の腕[うで]で、着物[きもの]の上[うえ]から斬[き]られたと見[み]えて、その腕[うで]には筒袖[つつそで]が残[のこ]っていた。筒袖[つつそで]は誰[だれ]も見識[みし]っている唐人飴[とうじんあめ]の衣裳[いしょう]である。疑問[ぎもん]の唐人飴屋[とうじんあめや]がここで何者[なにもの]にか腕[うで]を斬[き]られたに相違[そうい]ない。それに就[つ]いて又[また]いろいろの噂[うわさ]が立[た]った。
「あいつはいよいよ泥坊[どろぼう]で、お武家[ぶけ]の物[もの]でも剥[は]ぎ取[と]ろうとして斬[き]られたのだ」
「いや、泥坊[どろぼう]には相違[そうい]ないが、仲間同士[なかまどうし]の喧嘩[けんか]で腕[うで]を斬[き]られたのだ」
 いずれにしても、尋常[じんじょう]の唐人飴屋[とうじんあめや]が夜更[よふ]けにここらを徘徊[はいかい]している筈[はず]がない。斬[き]られた事情[じじょう]はどうであろうとも、彼[かれ]が盗賊[とうぞく]であることは疑[うたが]うべくもない。たとい腕一本[うでいっぽん]でも、それが人間[にんげん]のものである以上[いじょう]、犬[いぬ]や猫[ねこ]の死骸[しがい]と同一[どういつ]には取[と]り扱[あつか]われないので、町[まち]でも訴[うった]え出[い]での手続[てつづ]きをしている処[ところ]へ、ひとりの男[おとこ]がふらりとはいって来[き]た。
 男[おとこ]は半七[はんしち]の子分[こぶん]の庄太[しょうた]であった。庄太[しょうた]は浅草[あさくさ]の馬道[うまみち]に住[す]んでいながら、その菩提寺[ぼだいじ]は遠[とお]い百人町[ひゃくにんまち]の海光寺[かいこうじ]であるので、きょうは親父[おやじ]の命日[めいにち]で朝[あさ]から墓参[ぼさん]に来[く]ると、ここらには唐人飴[とうじんあめ]の噂[うわさ]がいっぱいに拡[ひろ]がっていた。彼[かれ]も商売柄[しょうばいがら]、それを聞[き]き流[なが]しには出来[でき]ないので、町役人[ちょうやくにん]の玄関[げんかん]へ顔[かお]を出[だ]したのである。
 彼[かれ]は先[ま]ずその腕[うで]を見[み]せて貰[もら]った。その腕[うで]に残[のこ]っていた筒袖[つつそで]をあらためた。その飴屋[あめや]の年頃[としごろ]や人相[にんそう]や、ふだんのあきない振[ぶ]りなどに就[つ]いても聞[き]きあわせた。それから熊野権現[くまのごんげん]の近所[きんじょ]へまわって、羅生門横町[らしょうもんよこちょう]の現場[げんば]をも取[と]り調[しら]べた。ここは山尻町[やまじりちょう]との境[さかい]で、片側[かたがわ]には小[ちい]さい御家人[ごけにん]と小商人[こあきんど]の店[みせ]とが繋[つな]がっているが、昼[ひる]でも往来[おうらい]の少[すく]ない薄暗[うすぐら]い横町[よこちょう]で、権現[ごんげん]のやしろの大榎[おおえのき]が狭[せま]い路[みち]をいよいよ暗[くら]くするように掩[おお]っていた。
 庄太[しょうた]が帰[かえ]ったあとで、又[また]もやここらの|人々[ひとびと]をおどろかしたのは、かの唐人飴[とうじんあめ]の虎吉[とらきち]が、相変[あいかわ]らず鉦[かね]を叩[たた]いて来[き]たことである。腕斬[うでき]りの一件[いっけん]を聴[き]いて、かれは眼[め]を丸[まる]くして云[い]った。
「それは驚[おどろ]きましたね。だが、わたしはこの通[とお]りだから御安心[ごあんしん]ください」
 彼[かれ]は両手[りょうて]をひろげて、いつものカンカン踊[おど]りをやって見[み]せた。その両腕[りょううで]はたしかに満足[まんぞく]に揃[そろ]っていた。こうなると、ここらの|人々[ひとびと]は唯[ただ]《《ぽかん》》と口[くち]を明[あ]いているのほかは無[な]かった。

234・宮本武蔵「風の巻」「木魂(11)はぐれた雁(1)」


朗読「234風の巻76.mp3」10 MB、長さ: 約 10分 28秒

 

十一

 凡事[ただごと]とも思[おも]われない。
 誰[だれ]の叫[さけ]びか。また、何事[なにごと]が起[おこ]ったのか。
 われを呼[よ]び醒[さ]まされたように、お通[つう]は眼[め]をやって、霧[きり]のかかっている峰[みね]の頂[いただき]を仰[あお]いでいたが、その機[しお]に武蔵[むさし]は、つと彼女[かのじょ]の側[そば]を離[はな]れ、
(おさらば)
 ともいわず――彼方[かなた]の死地[しち]へさして行[い]く足[あし]を大股[おおまた]に急[いそ]ぎかけていた。
「あっ、もう……」
 お通[つう]が十歩追[じゅっぽお]うと、武蔵[むさし]も十歩駈[じゅっぽか]けて、そして振顧[ふりかえ]った。
「お通[つう]さん、よく分[わか]った。――だが犬死[いぬじに]をしてはならないぞ。不幸[ふこう]に追[お]い詰[つ]められて、死[し]の谷間[たにま]へ辷[すべ]り落[お]ちて行[い]くような、弱[よわ]い死[し]に方[かた]をしてはならないぞ。も一度[いちど]その体[からだ]を健康[けんこう]に戻[もど]してから、健康[けんこう]な心[こころ]でよく考[かんが]えてみるといい。わしだってこれから無駄[むだ]に生命[いのち]を捨[す]てに急[いそ]ぐわけじゃない。永遠[えいえん]の生[せい]をつかむために一時[いちじ]、死[し]のかたちを取[と]るだけのことだ。――わしのあとに従[つ]いて死[し]んでくれるよりは、お通[つう]さん! 生[い]き残[のこ]って永[なが]い眼[め]で見[み]ていてくれ、武蔵[むさし]の体[からだ]は土[つち]になっても、武蔵[むさし]はきっと生[い]きているから!」
 いい続[つづ]けた息[いき]のまま、武蔵[むさし]はもう一言[ひとこと]、
「いいか、お通[つう]さん! わしの後[あと]に従[つ]いて来[く]るつもりで、見当[けんとう]ちがいな方[ほう]へ一人[ひとり]で行[い]ってしまうなよ。わしの死[し]んだという形[かたち]を見[み]て、武蔵[むさし]を冥途[めいど]に捜[さが]しても、武蔵[むさし]は冥途[めいど]には行[い]っていない。武蔵[むさし]がいるところは、百年後[ひゃくねんご]でも千年後[せんねんご]でも、この国[くに]の人間[にんげん]の中[なか]だ、この国[くに]の剣[けん]の中[なか]だ。他[ほか]にはいない」
 いい捨[す]てると、もう、お通[つう]の次[つぎ]のことばが届[とど]かない方[ほう]まで、彼[かれ]の姿[すがた]は遠[とお]ざかっていた。
「…………」
 茫然[ぼうぜん]とお通[つう]は残[のこ]っていた。遠[とお]く去[さ]ってゆく武蔵[むさし]の影[かげ]は、自分[じぶん]の胸[むね]から抜[ぬ]け出[だ]した自分自体[じぶんじたい]であるような心地[ここち]だった。――別[わか]れという悲[かな]しみは、二[ふた]つのものの離散[りさん]から生[しょう]じる感情[かんじょう]なので、お通[つう]の今[いま]の気持[きもち]には、別[わか]れの悲[かな]しみというような、そんなべつべつな意識[いしき]の悲[かな]しみは持[も]てなかった。ただ、大[おお]きな生死[せいし]の濤[なみ]に持[も]って行[ゆ]かれようとしている彼身此身[かのみこのみ]の、ひとつ魂[たましい]にふと戦慄[せんりつ]の眼[め]をふさぐだけだった。
 ――ざ、ざ、ざ、ざ
 とその時[とき]、崖[がけ]の上[うえ]から、土[つち]《《ころ》》が彼女[かのじょ]の足元[あしもと]まで崩[くず]れて来[き]た。すると、その土音[つちおと]を追[お]いかけるように、
「――わあっ」
 と城太郎[じょうたろう]が、木[き]や草[くさ]を掻分[かきわ]けて飛[と]び下[お]りて来[き]た。
「まあっ!」
 お通[つう]でさえ、ぎょっとした。
 なぜならば、城太郎少年[じょうたろうしょうねん]は、奈良[なら]の観世[かんぜ]の後家[ごけ]からもらった鬼女[きじょ]の笑仮面[わらいめん]を、こんどは烏丸家[からすまるけ]へ帰[かえ]らないものと思[おも]って大事[だいじ]にふところへ所持[しょじ]して出[で]かけて来[き]たらしく、見[み]ると今[いま]、その仮面[めん]を顔[かお]にかぶって、
「ああ、驚[おどろ]いた!」
 と、ふいに眼[め]の前[まえ]へ立[た]って、両手[りょうて]を挙[あ]げたからである。
「なんですっ? 城太[じょうた]さん」
 お通[つう]が問[と]うと、
「なんだか、おいらも知[し]らないけど、お通[つう]さんにも聞[きこ]えたろ。キャーッっていった女[おんな]の声[こえ]がさ」
「城太[じょうた]さんは、それをかぶって、どこにいたの」
「この崖[がけ]をずっと登[のぼ]って行[い]ったら、そこにもこのくらいな道[みち]があってね、その道[みち]のもっと上[うえ]の方[ほう]に、ちょうど坐[すわ]りいい巨[おお]きな岩[いわ]があったから、そこに腰[こし]かけて、ぽかんと、お月様[つきさま]の落[お]ちて行[い]くのを見[み]ていたのさ」
「それをかぶって?」
「うん、……なぜっていえば、そこいらでやたらに、狐[きつね]が啼[な]いたり、狸[たぬき]だか狢[むじな]だか知[し]れない奴[やつ]がゴソゴソするから、仮面[めん]をかぶって威張[いば]っていたら寄[よ]りつけまいと思[おも]ったからさ。――するとね、どこかでふいにキャーッという声[こえ]がしたんだ。なんだろうあの声[こえ]は。まるで針[はり]の山[やま]からきた木魂[こだま]みたいな声[こえ]だったぜ」

はぐれた雁[かり]

 東山[ひがしやま]から大文字[だいもんじ]の麓[ふもと]あたりまではたしかに方角[ほうがく]はついていたが、いつのまにか道[みち]を間違[まちが]えていたとみえ、一乗寺村[いちじょうじむら]へ出[で]るにはすこし山[やま]へ入[はい]り過[す]ぎていた。
「これさ、なぜそうせかせか急[いそ]ぐのじゃ。待[ま]たぬかよ。又八[またはち]、又八[またはち]」
 先[さき]へ行[い]く息子[むすこ]の足[あし]に遅[おく]れがちになると、お杉婆[すぎばば]は、意地[いじ]も我慢[がまん]もなくなったように後[あと]から喘[あえ]いでいう。
 聞[きこ]えよがしに、舌打[したう]ちして、
「なんだ口[くち]ほどもない。宿[やど]を立[た]つ時[とき]、なんといっておれを叱[しか]りとばしたか」
 待[ま]ってやらないわけにもゆかないので、又八[またはち]はその度[たび]ごとに、足[あし]を止[と]めて待[ま]ちはするが、こんな時[とき]とばかり、後[あと]からやっと追[お]いついて来[く]る老母[はは]を頭[あたま]からやりこめた。
「なにをそう不機嫌[ふきげん]にわしへ当[あた]りちらすのじゃ、汝[わ]が身[み]のように、生[う]みの親[おや]のいうことを、いちいち根[ね]に持[も]って遺恨[いこん]がましゅう当[あた]る者[もの]がどこにあろうぞ」
 皺[しわ]の中[なか]の汗[あせ]を拭[ふ]いて、ほっと一息休[ひといきやす]もうとすると、又八[またはち]の若[わか]い足[あし]は、立[た]っている方[ほう]が辛[つら]いので、もう直[す]ぐ先[さき]へ歩[ある]き出[だ]すのだった。
「これ待[ま]たぬか。少[すこ]し休[やす]んで行[い]こうぞよ」
「よく休[やす]むなあ、夜[よ]が明[あ]けてしまうぜ」
「なんの、まだ朝[あさ]までにはだいぶある。常[つね]ならば、これしきの山道[やまみち]、苦[く]にもせぬが、この二[に]、三日[さんにち]は風邪[かぜ]気味[ぎみ]か体[からだ]が気懈[けだる]うて歩[ある]くと息[いき]が喘[き]れてならぬ。悪[わる]い折[おり]にぶつかったものよ」
「まだ負[ま]け惜[お]しみをいってるぜ。だから途中[とちゅう]で、居酒屋[いざかや]をたたき起[おこ]して、人[ひと]が折角親切[せっかくしんせつ]に休[やす]ませてやろうとすれば、そんな時[とき]には、自分[じぶん]が飲[の]みたくねえものだから、やれ時刻[じこく]が遅[おく]れるの、さア出[で]かけようのと、おれがおちおちと酒[さけ]も飲[の]まねえうちに立[た]ってしまうしよ。いくら親[おや]でも、おふくろぐれえ交際[つきあ]い難[にく]い人間[にんげん]はねえぜ」
「ははあ、ではあの居酒屋[いざかや]で、汝[わ]が身[み]に酒[さけ]を飲[の]ませなかったというて、それを、まだ怒[おこ]っていやるのか」
「いいよ、もう」
「わがままも程[ほど]にしたがよい、大事[だいじ]をひかえて行[い]く途中[とちゅう]だぞよ」
「といったところでなにもおれたち母子[おやこ]が刃[やいば]の中[なか]へ飛[と]びこむわけじゃなし、勝負[しょうぶ]のついた後[あと]で吉岡方[よしおかがた]のものに頼[たの]み、武蔵[むさし]の死骸[しがい]へ一太刀恨[ひとたちうら]んで、手出[てだ]しのできない死骸[しがい]から、髪[かみ]の毛[け]でも貰[もら]って故郷[くに]の土産[みやげ]にしようというだけのものじゃねえか、大事[だいじ]も大変[たいへん]もあるものか」
「ままよいわ、ここで汝[わ]が身[み]と、母子[おやこ]喧嘩[げんか]をしてみても始[はじ]まるまいでの」
 歩[ある]き出[だ]すと――又八[またはち]はぶつぶつ独[ひと]り語[ごと]に、
「ああ、ばかばかしいな。他人[たにん]の殺[ころ]した死骸[しがい]から証[あかし]を貰[もら]って、これでめでたく本懐[ほんかい]を達[たっ]してございと故郷[くに]へ帰[かえ]って披露[ひろう]する。故郷[ふるさと]の奴[やつ]らは、どうせあの山国[やまぐに]、他[ほか]へ出[で]たことのない人間[にんげん]ばかり、本気[ほんき]になって目出度[めでた]がることだろうが……嫌[いや]だなあ、またあの山国[やまぐに]で暮[くら]すのは、考[かんが]え出[だ]してもぶるぶるだ」
 灘[なだ]の酒[さけ]だの都[みやこ]の女[おんな]だの、又八[またはち]の知[し]った都会生活[とかいせいかつ]のあらゆるものが彼[かれ]に未練[みれん]をささやいてやまなかった。まして彼[かれ]にはまだそれ以上[いじょう]の執着[しゅうちゃく]がこの都会[とかい]にある。あわよくば、武蔵[むさし]の歩[ある]いた道以外[みちいがい]の道[みち]を見[み]つけ、とんとん拍子[びょうし]に立身[りっしん]して、まだ不足[ふそく]な物質[ぶっしつ]の世界[せかい]の体験[たいけん]にその身[み]を飽満[ほうまん]させて、人間[にんげん]の生[うま]れがいをそこに自覚[じかく]してみたいという――彼[かれ]らしい希望[きぼう]さえまだ決[けっ]して捨[す]ててはいない。
(ああ嫌[いや]だ。ここから見[み]てさえ町中[まちなか]が恋[こい]しい)
 いつの間[ま]にやらまた、お杉婆[すぎばば]はだいぶ後[あと]に取[と]り残[のこ]されていた。宿[やど]を立[た]つ前[まえ]から体[からだ]が懈[だる]い懈[だる]いといっていたが、まったく幾[いく]らか体[からだ]の調子[ちょうし]が悪[わる]いのかも知[し]れない。とうとう我[が]を折[お]ったように、
「又八[またはち]、少[すこ]し負[お]うてくれぬか。後生[ごしょう]だによって、少[すこ]し負[お]うてくれい」
 といった。
 又八[またはち]は、顔[かお]を顰[しか]めた。
 面[つら]を膨[ふく]らませたまま、返辞[へんじ]もせずに待[ま]っていたのである。すると、お杉婆[すぎばば]も彼[かれ]もぎょっとしたように耳[みみ]を欹[そばだ]てた。――先[さき]に城太郎[じょうたろう]も驚[おどろ]き、お通[つう]も聞[き]いた、あの針[はり]の山[やま]の悲鳴[ひめい]に似[に]た女[おんな]の叫[さけ]びを、この母子[おやこ]も聞[き]いたのであった。

229・半七捕物帳53「新カチカチ山(7)」


朗読「半七53-7.mp3」10 MB、長さ: 約 10分 27秒

 

     六

「なかなか入[い]り組[く]んだ話[はなし]ですね」と、私[わたし]はここまで聞[き]かされてひと息[いき]ついた。
「さあ、入[い]り組[く]んでいるようですが、筋[すじ]は真[ま]っ直[す]ぐです」と、半七老人[はんしちろうじん]は笑[わら]った。「ここまでお話[はな]しすれば、あなた方[がた]にも大抵[たいてい]お判[わか]りでしょう」
「まだ判[わか]らないことがたくさんありますよ。これまでのお話[はなし]によると、そのお信[のぶ]という女[おんな]が自分[じぶん]の恋[こい]の邪魔[じゃま]になるお早[はや]という妾[めかけ]を殺[ころ]そうとして、叔父[おじ]の清吉[せいきち]を口説[くど]いて船底[ふなぞこ]に機関[からくり]を仕掛[しか]けたというわけですね。かたきの片割[かたわ]れだから、お嬢[じょう]さまも一緒[いっしょ]に沈[しず]めてしまう……」
「殿[との]さまを殺[ころ]す気[き]はなかったが、あいにく其[そ]の日[ひ]に限[かぎ]って、殿[との]さまも船[ふね]で帰[かえ]ったので、云[い]わば傍杖[そばづえ]の災難[さいなん]に出逢[であ]ったのですよ。運[うん]の悪[わる]いときは仕方[しかた]のないものです」
「お信[のぶ]は大阪屋花鳥[おおさかやかちょう]の二代目[にだいめ]ですね」
「そうです。子供[こども]のときから築地[つきじ]の河岸[かし]に育[そだ]ったので、相当[そうとう]に水心[みずごころ]があったと見[み]えます。こんにちでは海水浴[かいすいよく]が流行[はや]って、綺麗[きれい]な女[おんな]がみんな《《ぼちゃぼちゃ》》やりますが、江戸時代[えどじだい]には漁師[りょうし]の娘[むすめ]ならば知[し]らず、普通[ふつう]の女[おんな]で泳[およ]ぎの出来[でき]るのは少[すく]なかったのです。花鳥[かちょう]もお信[のぶ]も泳[およ]ぎを知[し]らなかったら、悪[わる]いことを思[おも]い付[つ]かなかったかも知[し]れません」
「そこで千太[せんた]という船頭[せんどう]はどうしました」
「それには又[また]お話[はなし]があります」と、老人[ろうじん]は説明[せつめい]した。「千太[せんた]は親方[おやかた]の指図[さしず]だから忌[いや]とは云[い]われません。もちろん相当[そうとう]の金轡[かねぐつわ]を喰[は]まされたんでしょう。ともかくもこの役目[やくめ]を引[ひ]き受[う]けて、浅井[あさい]の人[ひと]たちを砂村[すなむら]の下屋敷[しもやしき]へ送[おく]り付[つ]けて、その帰[かえ]りを待[ま]っているあいだに船底[ふなぞこ]をくり抜[ぬ]いて置[お]いたんです。いざというときに自分[じぶん]は泳[およ]いで逃[に]げ、一旦[いったん]は三河屋[みかわや]へ帰[かえ]ったんですが、いろいろの詮議[せんぎ]を受[う]けると面倒[めんどう]だというので、親方[おやかた]の指図[さしず]で姿[すがた]を隠[かく]してしまったんです」
「そうして、どこに隠[かく]れていたんです」
「友達[ともだち]の寅吉[とらきち]の家[いえ]へ逃[に]げ込[こ]んで、戸棚[とだな]のなかに隠[かく]れていたそうです。寅吉[とらきち]も悪[わる]い奴[やつ]で、万事[ばんじ]を承知[しょうち]で千太[せんた]をかくまい、千太[せんた]の使[つかい]だと云[い]って|時々[ときどき]に三河屋[みかわや]へ無心[むしん]に出[で]かけていたんですが、この寅吉[とらきち]を斬[き]った者[もの]がよく判[わか]りません。寅吉[とらきち]の出入[でい]りを尾[つ]けていた幸次郎[こうじろう]の話[はなし]によると、寅吉[とらきち]が山本町[やまもとちょう]の橋[はし]の袂[たもと]へ来[き]かかった時[とき]に覆面[ふくめん]の侍[さむらい]が足早[あしばや]に追[お]って来[き]て、一刀[いっとう]に斬[き]り倒[たお]したのだそうで、恐[おそ]らく菅野[かんの]の屋敷[やしき]の者[もの]だろうと云[い]うんです。菅野[かんの]は前[まえ]にも申[もう]した通[とお]り、浅井[あさい]の奥[おく]さまの里方[さとがた]で深川[ふかがわ]の浄心寺[じょうしんじ]わきに屋敷[やしき]を持[も]っている。そこへ今度[こんど]の一件[いっけん]を種[たね]にして、寅吉[とらきち]は何[なに]か強請[ゆすり]がましい事[こと]でも云[い]いに行[い]ったらしい。屋敷[やしき]の方[ほう]でも面倒[めんどう]だと思[おも]って、一旦[いったん]は幾[いく]らか握[にぎ]らせて帰[かえ]して、あとから尾[つ]けて行[い]って《《ばっさり》》……。わたくしは門前払[もんぜんばら]いを喰[く]っただけでしたが、寅吉[とらきち]は命[いのち]を取[と]られてしまいました。なにしろ寅吉[とらきち]が殺[や]られてしまったので、千太[せんた]はどうすることも出来[でき]ない。よんどころなく其処[そこ]を逃[に]げ出[だ]して、それからそれへと友達[ともだち]のところを転[ころ]げ歩[ある]いていたんですが、どこでも係[かか]り合[あ]いを恐[おそ]れて長[なが]くは泊[と]めてくれない。そのうちに親方[おやかた]の清吉[せいきち]がわたくしの手[て]に挙[あ]げられたという噂[うわさ]を聞[き]いて、もう逃[に]げ負[おお]せられないと覚悟[かくご]したのでしょう。自分[じぶん]で尋常[じんじょう]に名乗[なの]って出[で]ましたが、吟味中[ぎんみちゅう]に牢死[ろうし]しました」
「お信[のぶ]は清吉[せいきち]の女房[にょうぼう]の里[さと]に隠[かく]れていたんですか」
「お信[のぶ]は岸[きし]へ泳[およ]ぎ着[つ]いて、濡[ぬ]れた着物[きもの]の始末[しまつ]をして、自分[じぶん]だけ助[たす]かったつもりにして屋敷[やしき]へ帰[かえ]る筈[はず]だったんですが……。それが俄[にわ]かに気[き]が変[かわ]ったのは、船[ふね]がいよいよ沈[しず]むという時[とき]に、お妾[めかけ]のお早[はや]がただ一言[ひとこと]『信[のぶ]』と云[い]って、怖[こわ]い眼[め]をして睨[にら]んだそうです。さては覚[さと]られたかと思[おも]うと、お信[のぶ]は急[きゅう]におそろしくなって、夢中[むちゅう]で岸[きし]までは泳[およ]ぎ着[つ]きながらも、もう再[ふたた]び屋敷[やしき]へ戻[もど]る気[き]になれなくなったということです。暫[しばら]く何処[どこ]にか隠[かく]れていて、暗[くら]くなるのを待[ま]って下谷[したや]の稲荷町[いなりちょう]、すなわち清吉[せいきち]の女房[にょうぼう]の里[さと]へ尋[たず]ねて行[い]って、そこに五[ご]、六日隠[ろくにちかく]まって貰[もら]って、それから又[また]こっそりと築地[つきじ]の三河屋[みかわや]へ戻[もど]って来[き]て、その二階[にかい]に忍[しの]んでいたんです。わたくしが最初[さいしょ]に三河屋[みかわや]へ出張[でば]って、船頭[せんどう]の金八[きんぱち]を詮議[せんぎ]していた時[とき]、お信[のぶ]は二階[にかい]に隠[かく]れていたわけです、が、その儘[まま]うっかり帰[かえ]って来[き]たのはわたくしの油断[ゆだん]でした。
 そこで、お信[のぶ]がどうして浅井[あさい]の若殿[わかとの]さまを誘[さそ]い出[だ]したのか、それは清吉[せいきち]も知[し]らない。若殿[わかとの]さまは唯[ただ]だしぬけに尋[たず]ねて来[き]たのだと云[い]っていましたが、何[なに]かの手[て]だてを用[もち]いて呼[よ]び出[だ]したに相違[そうい]ないと思[おも]われます。若殿[わかとの]さまは三河屋[みかわや]の二階[にかい]に泊[と]まって、その夜[よ]のうちにお信[のぶ]と一緒[いっしょ]にぬけ出[だ]して、例[れい]の屋根船[やねぶね]のなかで心中[しんじゅう]したんですが、清吉[せいきち]はそれをちっとも知[し]らなかったと云[い]う。これも甚[はなは]だ怪[あや]しいと思[おも]われます。第一[だいいち]、若殿[わかとの]さまを自分[じぶん]の家[いえ]に泊[と]めるという法[ほう]はない。その屋敷[やしき]はすぐ近所[きんじょ]にあるんですから、夜[よ]が更[ふ]けても送[おく]り帰[かえ]すのが当然[とうぜん]であるのに、平気[へいき]で自分[じぶん]の二階[にかい]に泊[と]まらせて、こんな事[こと]を仕出来[しでか]したのは、|重々申[じゅうじゅうもう]し訳[わけ]のない次第[しだい]です。浅井[あさい]の屋敷[やしき]では二日前[ふつかまえ]に家出[いえで]したと云[い]い、清吉[せいきち]はその晩[ばん]に来[き]たと云[い]い、その申[もう]し口[くち]が符合[ふごう]しないんですが、或[ある]いは二日前[ふつかまえ]から三河屋[みかわや]に忍[しの]ばせて置[お]いたのかも知[し]れません。
 それらのことを考[かんが]えると、お信[のぶ]はしょせん自分[じぶん]の望[のぞ]みは叶[かな]わないと覚悟[かくご]して、叔父[おじ]の清吉[せいきち]と相談[そうだん]の上[うえ]で、若殿[わかとの]さまを冥途[めいど]の道連[みちづ]れにしたらしい。清吉[せいきち]も姪[めい]が可愛[かわい]さに、若殿[わかとの]さまを二階[にかい]に忍[しの]ばせて、十分[じゅうぶん]に名残[なごり]を惜[お]しませた上[うえ]で、二人[ふたり]を心中[しんじゅう]に出[だ]してやったんだろうと思[おも]われます。船[ふね]の一件[いっけん]が露顕[ろけん]すれば、清吉[せいきち]もお信[のぶ]もどうで無[な]い命[いのち]、殊[こと]にお信[のぶ]はしっかり者[もの]だけに執念深[しゅうねんぶか]い。それに魅[み]こまれた若殿[わかとの]さまはお気[き]の毒[どく]のようですが、この人[ひと]は女[おんな]に惚[ほ]れられるような美男[びなん]に生[う]まれ付[つ]いただけに、体[からだ]も弱[よわ]く、気[き]も弱[よわ]い質[たち]で、年[とし]もまだ十七[じゅうなな]、無事[ぶじ]に家督[かとく]を相続[そうぞく]したものの、親[おや]や妹[いもうと]には不意[ふい]に死[し]に別[わか]れ、お信[のぶ]はゆくえ知[し]れず、唯[ただ]ぼんやりとしているところへ、死[し]んだと思[おも]ったお信[のぶ]が突然[とつぜん]にあらわれて来[き]て、それにいろいろ口説[くど]かれたので、ついふらふらと死[し]ぬ気[き]になったんでしょう。今更[いまさら]のことじゃあないが、女[おんな]に惚[ほ]れられると恐[おそ]ろしい。若殿[わかとの]さまがお信[のぶ]という女[おんな]に惚[ほ]れられた為[ため]に、これほどの大事件[だいじけん]が出来[しゅったい]して、三千石[さんぜんごく]の家[いえ]は見[み]ごとに潰[つぶ]れてしまいました」
「お嬢[じょう]さまの死骸[しがい]はとうとう揚[あ]がらなかったんですか」と、わたしは最後[さいご]に訊[き]いた。
「いや、そのお春[はる]というお嬢[じょう]さまは……」と、老人[ろうじん]は悼[いた]ましそうに顔[かお]をしかめた。「何処[どこ]をどう流[なが]れて行[い]ったのか知[し]れませんが、房州[ぼうしゅう]の沖[おき]で見付[みつ]かりました。これは後[あと]に聞[き]いたことですが、房州[ぼうしゅう]の漁師[りょうし]が沖[おき]へ出[で]て、大[おお]きな鮫[さめ]を生[い]け捕[ど]って来[き]て、その腹[はら]を裂[さ]いてみると、若[わか]い女[おんな]の死骸[しがい]がころげ出[で]た。その時[とき]には何者[なにもの]か判[わか]らなかったんですが、着物[きもの]や持[も]ち物[もの]が証拠[しょうこ]になって、その女[おんな]は浅井[あさい]のお嬢[じょう]さまだということが知[し]れたそうです。揃[そろ]いも揃[そろ]って何[なん]という運[うん]の悪[わる]いことか、まったくお話[はなし]になりません。浅井[あさい]の奥[おく]さまのお蘭[らん]という人[ひと]は里方[さとかた]の菅野家[かんのけ]へ戻[もど]りましたが、亭主[ていしゅ]は水死[すいし]、息子[むすこ]は心中[しんじゅう]、娘[むすめ]は右[みぎ]の始末[しまつ]ですから、いよいよ半狂乱[はんきょうらん]のようになってしまって、それから間[ま]もなく死[し]んだということです。三河屋[みかわや]の清吉[せいきち]も千太[せんた]と同様[どうよう]、吟味中[ぎんみちゅう]に牢死[ろうし]しました」

233・宮本武蔵「風の巻」「木魂(9)(10)」


朗読「233風の巻75.mp3」9 MB、長さ: 約 10分 14秒

 

 ことばを休[やす]めて、
「お通[つう]さん!」
 とさらに、ことばに力[ちから]をこめ直[なお]して、武蔵[むさし]はなおいった。
 いつも無口[むくち]で無表情[むひょうじょう]な彼[かれ]がめずらしく感情[かんじょう]のなかに没[ぼっ]し切[き]って、
「鳥[とり]|将[まさ]に死[し]なんとするやだ。将[まさ]に死[し]なんとしているこの武蔵[むさし]だ。お通[つう]さん、わしの今[いま]いう言葉[ことば]には微塵[みじん]、嘘[うそ]も衒[てら]いもないことを信[しん]じてくれ。――羞恥[はじ]も見得[みえ]もなくわしはいう。今日[きょう]まで、お通[つう]さんのことを思[おも]うと、昼[ひる]もうつつな日[ひ]があった。夜[よる]も寝[ね]ぐるしくて熱[あつ]い熱[あつ]い夢[ゆめ]ばかりに悩[なや]まされ、気[き]の狂[くる]いそうな晩[ばん]もあった。お寺[てら]に寝[ね]ても野[の]に伏[ふ]しても、お通[つう]さんの夢[ゆめ]はつき纒[まと]い、しまいには薄[うす]い藁[わら]ぶとんをお通[つう]さんのつもりで抱[だ]きしめて歯[は]がみをして夜[よ]を明[あ]かした晩[ばん]すらある。それほどわしはお通[つう]さんに囚[とら]われていた。無性[むしょう]にお通[つう]さんには恋[こい]していた。――けれど。――けれどそんな時[とき]でも人知[ひとし]れず剣[けん]を抜[ぬ]いて見[み]ていると、狂[くる]おしい血[ち]も水[みず]のように澄[す]んでしまい、お通[つう]さんの影[かげ]も、霧[きり]のようにわしの脳裡[のうり]から薄[うす]れてしまう……」
「…………」
 お通[つう]はなにかいおうとした。蔓草[つるくさ]の白[しろ]い花[はな]みたいに、嗚咽[おえつ]していた面[おもて]をあげたが、武蔵[むさし]の顔[かお]が、恐[おそ]ろしいほど真面目[まじめ]な熱情[ねつじょう]に硬[こわ]ばっているのを見[み]ると、息[いき]づまって、再[ふたた]び地[ち]へ顔[かお]を打[う]ち伏[ふ]せてしまった。
「――そしてまた、わしは剣[けん]の道[みち]へ、身[み]も心[こころ]も打[う]ち込[こ]んで行[い]ったのだ。お通[つう]さん、この境[さかい]が、武蔵[むさし]の本心[ほんしん]だった。つまり恋慕[れんぼ]と精進[しょうじん]の道[みち]のふた筋[すじ]に足[あし]かけて、迷[まよ]いに迷[まよ]い、悩[なや]みに悩[なや]みながら、今日[きょう]までどうやら剣[けん]の方[ほう]へ身[み]を引[ひ]き摺[ず]って来[き]た武蔵[むさし]だった。――だからわしは、誰[だれ]より自分[じぶん]をよく知[し]っている。わしは偉[えら]い男[おとこ]でも天才[てんさい]でもなんでもない。ただお通[つう]さんよりも、剣[けん]の方[ほう]が少[すこ]し好[す]きなのだ。恋[こい]には死[し]にきれないが、剣[けん]の道[みち]にはいつ死[し]んでもいい気[き]がするだけなのだ」
 なにもかも正直[しょうじき]に――少[すこ]しの嘘[うそ]もなく、武蔵[むさし]は自分[じぶん]の本心[ほんしん]を――心[こころ]の奥底[おくそこ]まで、今[いま]こそいってしまおうとするのであったが、いたずらに、言葉[ことば]の美飾[びしょく]と、感情[かんじょう]の顫[ふる]えのみが勝[か]ってしまって、まだまだ、正直[しょうじき]にいいきれないものが、胸[むね]につかえているようでならなかった。
「だから、人[ひと]は知[し]らないが、お通[つう]さん、武蔵[むさし]という男[おとこ]は、そんな男[おとこ]なのだ。もっと、露骨[ろこつ]にいえば、そなたのことを考[かんが]え出[だ]して、ふと囚[とら]われているときは、五体[ごたい]も焦[や]かれる気[き]がするが、心[こころ]が、剣[けん]の道[みち]に醒[さ]めると、お通[つう]さんのことなんか、頭[あたま]の隅[すみ]へすぐ片[かた]づけてしまう。いや、心[こころ]の隅[すみ]にも失[な]くなってしまう。この体[からだ]、この心[こころ]の、どこをさがしたって、お通[つう]さんの存在[そんざい]などは芥子粒[けしつぶ]ほどでもなくなってしまうのだ。――また、その時[とき]が、武蔵[むさし]はいちばん楽[たの]しくて生[い]きがいのある男[おとこ]となって歩[ある]いていたのだ。――わかったろう、お通[つう]さん。そういうわしに向[むか]って、お通[つう]さんは、心[こころ]も体[からだ]もすべてを賭[と]して、今日[きょう]まで一人[ひとり]で苦[くる]しんで来[き]ている。すまないと心[こころ]では思[おも]っても、どうしようもない。……それが自分[じぶん]なのだから」
 ――不意[ふい]に、お通[つう]の細[ほそ]い手[て]は、武蔵[むさし]の逞[たくま]しい手頸[てくび]を掴[つか]んだ。
 もう眼[め]は泣[な]いていなかった。
「……知[し]ってます! そ、そんなことぐらい……そういう貴方[あなた]であるぐらいなこと……し、しらないで……知[し]らないで恋[こい]をしてはまいりませぬ」
「さすれば、わしがいうまでもなく、この武蔵[むさし]と共[とも]に死[し]のうなどという考[かんが]えはつまらぬことと分[わか]っておろうが。わしという人間[にんげん]は、こうしているわずかな一[いっ]|瞬[とき]こそ、なにも思[おも]わず、そなたに心[こころ]も身[み]も与[あた]えているが――一歩別[いっぽわか]れて、そなたの側[そば]を離[はな]れれば、そなたのことなど、おくれ毛一筋[げひとすじ]ほどにも心[こころ]に懸[か]けていない人間[にんげん]。――そういう男[おとこ]に縋[すが]って男[おとこ]の死[し]を追[お]って、鈴虫[すずむし]のように死[し]んではつまらぬことではないか。女[おんな]には女[おんな]の生[い]きる道[みち]がある。女[おんな]の生[い]きがいはほかにもある。――お通[つう]さん、これがお別[わか]れのわしのことばだ。……では、もう時刻[じこく]もないから――」
 武蔵[むさし]は、彼女[かのじょ]の手[て]をそっと解[と]いて、立[た]ち上[あ]がった。

 解[と]かれた手[て]は、またすぐその袂[たもと]を追[お]って、
「武蔵様[むさしさま]、待[ま]って」
 と、かたく縋[すが]った。
 さっきから彼女[かのじょ]にも、いいたいものが胸[むね]いっぱいに閊[つか]えていた。
 武蔵[むさし]が、
(虫[むし]のように生[い]きて、虫[むし]のように死[し]ぬ女[おんな]の恋[こい]には、死[し]の意義[いぎ]がない)
 といったことばや、
(一歩[いっぽ]、おまえから離[はな]れれば、わしはおまえのことなど、頭[あたま]の隅[すみ]にも置[お]いていない男[おとこ]だ)
 といったような言葉[ことば]にも、お通[つう]は決[けっ]して、そんなふうに武蔵[むさし]を見[み]て、穿[は]き違[ちが]えた恋[こい]をしているのではないことをいいたかったが、なんとしても、
(もう二度[にど]と会[あ]えなくなるのだ)
 と思[おも]うさし迫[せま]った感情[かんじょう]に克[か]てなかった。それ以外[いがい]のなにもいえなかったと、理性[りせい]することもできなかった。――で今[いま]、
「……待[ま]って」
 といって、袂[たもと]を引[ひ]き留[と]めたものの、やはりお通[つう]も、不可抗力[ふかこうりょく]なものでただ纒綿[てんめん]と泣[な]くだけの女性[じょせい]をしか示[しめ]すことが出来[でき]なかったのである。
 しかし、いおうとすることのいえない――弱[よわ]さの美[うつく]しさ――単純[たんじゅん]なる複雑[ふくざつ]さ――に対[たい]して、武蔵[むさし]も乱[みだ]れずにいられなかった。彼[かれ]の恐[おそ]れている自分[じぶん]の性格[せいかく]の中[なか]の最[もっと]も大[おお]きな弱点[じゃくてん]が、今[いま]、暴風[ぼうふう]のなかの根[ね]の弱[よわ]い木[き]みたいに揺[ゆ]すぶられていた。ともすればここまで持[も]ち続[つづ]けて来[き]た「道[みち]への節操[せっそう]」も、地崩[じくず]れのように、彼女[かのじょ]の涙[なみだ]とともに泥[どろ]になって《《なだ》》れてしまいそうな気持[きもち]がする。その気持[きもち]を彼[かれ]は恐怖[きょうふ]する。
「わかったか」
 武蔵[むさし]が、ただいう言葉[ことば]のためにそういうと、
「わかりました」
 お通[つう]は微[かす]かに――
「けれど、わたくしはやはり、あなたがお死[し]にになれば、後[あと]から死[し]にます。男[おとこ]のあなたが、欣[よろこ]んで死[し]ぬる以上[いじょう]に、女[おんな]のわたくしにも、死[し]の意味[いみ]が抱[だ]いて逝[ゆ]かれるのでございます。けっして虫[むし]のように――また一時[いちじ]の悲[かな]しみに溺[おぼ]れて死[し]ぬのではございません。ですから、それだけはお通[つう]の心[こころ]にまかせておいて下[くだ]さいませ」
 乱[みだ]れずにいった。
 そして、もう一言[ひとこと]、
「あなたは、わたくしのような者[もの]でも、心[こころ]のうちだけでも、妻[つま]としてゆるして下[くだ]さいますでしょうね。もう、それだけでわたくしは、すべての望[のぞ]みが満[み]ち足[た]りました。……この気持[きもち]、大[おお]きな歓[よろこ]び、それはわたくしだけの持[も]っていられる幸福[こうふく]です。あなたはわたくしを、不幸[ふこう]にしたくないからと仰[お]っしゃいましたが、わたくしは決[けっ]して、不幸[ふこう]に敗[やぶ]れて死[し]ぬのではございません。――わたくしを見[み]る世[よ]の中[なか]の人達[ひとたち]が、皆[みな]わたくしを不幸[ふこう]だといっても、わたくし自身[じしん]は、ちっとも、そんな不幸[ふこう]ではないのでございます――むしろ、ああなんといっていいだろう、死[し]の夜明[よあ]けが、楽[たの]しみで待[ま]ち遠[どお]で、朝[あさ]の小鳥[ことり]の音[ね]の中[なか]に死[し]んで行[い]く身[み]が――花嫁[はなよめ]のようにいそいそ待[ま]たれてなりません」
 長[なが]くものをいうと、息[いき]が喘[き]れるのであろう。彼女[かのじょ]は自分[じぶん]の胸[むね]を抱[だ]きしめて、そして、夢[ゆめ]みるように幸福[こうふく]な眼[め]をあげた。
 残[のこ]んの月[つき]はまだ|白々[しらじら]としていて少[すこ]し|樹々[きぎ]に霧[きり]は立[た]ち初[そ]めたが、夜明[よあ]けにはまだ間[ま]があった。
 ――すると。
 ふと彼女[かのじょ]の眸[ひとみ]を上[あ]げた崖[がけ]の上[うえ]の方[ほう]で、
「キャーッ!」
 突然[とつぜん]、|樹々[きぎ]の眠[ねむ]りをさまして翔[か]ける怪鳥[けちょう]のように、一声[ひとこえ]、女[おんな]の鋭[するど]い悲鳴[ひめい]がつんざいた。
 たしかに女[おんな]の絶叫[ぜっきょう]だった。
 さっき城太郎[じょうたろう]が、その崖[がけ]の道[みち]を上[うえ]へ登[のぼ]って行[い]ったはずではあるが、その城太郎[じょうたろう]の声[こえ]では決[けっ]してなかった。

228・半七捕物帳53「新カチカチ山(6)」


朗読「半七53-6.mp3」9 MB、長さ: 約 9分 59秒

 

 幸次郎[こうじろう]を出[だ]してやった後[あと]、半七[はんしち]は又[また]しばらく考[かんが]えていた。武家屋敷[ぶけやしき]に係[かか]り合[あ]いの仕事[しごと]は元来面倒[がんらいめんどう]であるとは云[い]いながら、今度[こんど]の一件[いっけん]は万事[ばんじ]が喰[く]い違[ちが]いの形[かたち]で、とかくに後手[ごて]になったのは残念[ざんねん]でならない。浅井[あさい]の屋敷[やしき]に瑕[きず]が付[つ]いても構[かま]わないから、事件[じけん]の正体[しょうたい]を突[つ]きとめてくれと、奥[おく]さまは半狂乱[はんきょうらん]になって頼[たの]んだそうであるが、その屋敷[やしき]も所詮潰[しょせんつぶ]れるのであろう。思[おも]えば奥[おく]さまは気[き]の毒[どく]である。せめてはその望[のぞ]み通[どお]りに、この事件[じけん]の顛末[てんまつ]を明[あき]らかにして、奥[おく]さまに一種[いっしゅ]の満足[まんぞく]をあたえるのが自分[じぶん]の役目[やくめ]であると、半七[はんしち]は思[おも]った。
 そのうちに、彼[かれ]は何事[なにごと]かを思[おも]いついて、ふらりと神田[かんだ]の家[いえ]を出[で]た。二十八日[にじゅうはちにち]の宵[よい]である。きょうの春雨[はるさめ]も其[そ]の頃[ころ]には晴[は]れたが、紗[しゃ]のような薄[うす]い靄[もや]が朦朧[もうろう]と立[た]ち籠[こ]めて、行[い]く先[さき]は暗[くら]かった。大通[おおどお]りの店[みせ]の灯[ひ]も水[みず]のなかに沈[しず]んでいるように見[み]えた。半七[はんしち]はその靄[もや]に包[つつ]まれながら、築地[つきじ]の方角[ほうがく]にむかった。
 南小田原町[みなみおだわらちょう]へ辿[たど]り着[つ]いて、船宿[ふなやど]の三河屋[みかわや]を表[おもて]から覗[のぞ]くと、今夜[こんや]は軒[のき]の行燈[あんどん]をおろして、商売[しょうばい]を休[やす]んでいるらしかった。隣[とな]りの竹倉[たけくら]という船宿[ふなやど]で訊[き]くと、お信[のぶ]の死骸[しがい]は検視[けんし]が済[す]むや否[いな]や、すぐに下谷[したや]|稲荷町[いなりちょう]の女房[にょうぼう]の里方[さとかた]へ運[はこ]んで、今夜[こんや]はそこで|内々[うちうち]の通夜[つや]をするらしく、三河屋[みかわや]の家内[かない]はみな下谷[したや]へ出[で]て行[い]って、亭主[ていしゅ]の清吉[せいきち]ひとりが留守番[るすばん]をしているとの事[こと]であった。
 半七[はんしち]は再[ふたた]び三河屋[みかわや]の店[みせ]さきに立[た]って声[こえ]をかけると、奥[おく]から亭主[ていしゅ]が出[で]て来[き]た。清吉[せいきち]はもう四十以上[しじゅういじょう]の頑丈[がんじょう]そうな男[おとこ]で、半七[はんしち]を見[み]て、仔細[しさい]らしく顔[かお]をしかめたが、又[また]すぐに打[う]ち解[と]けて挨拶[あいさつ]した。
「親分[おやぶん]でございましたか。まあ、どうぞこちらへ……」
「どうも悪[わる]いことが続[つづ]いて、お気[き]の毒[どく]だね」と、半七[はんしち]は店[みせ]さきに腰[こし]をおろした。「そこで清吉[せいきち]。今夜[こんや]は御用[ごよう]で来[き]たのだから、そのつもりで返事[へんじ]をしてくれ」
 清吉[せいきち]は形[かたち]をあらためて、無言[むごん]でうなずいた。
「早速[さっそく]だが、おめえに訊[き]きてえことがある。姪[めい]のお信[のぶ]は先月[せんげつ]の一件[いっけん]以来[いらい]、小[こ]ひと月[つき]のあいだ何処[どこ]に忍[しの]んでいたのだね」
「存[ぞん]じません」と、清吉[せいきち]は《《はっきり》》と答[こた]えた。「実[じつ]は何処[どこ]から出[で]て来[き]たのかと、わたくしも不思議[ふしぎ]に思[おも]っている位[くらい]でございます。小[こ]ひと月[つき]も便[たよ]りがありませんので、死骸[しがい]は遠[とお]い沖[おき]へ流[なが]されてしまって、もう此[こ]の世[よ]にはいないものと諦[あきら]めて居[お]りましたのに、それが不意[ふい]に出[で]て来[き]まして、しかもここの河岸[かし]であんな事[こと]を仕出来[しでか]しまして……。なんだか夢[ゆめ]のようでございます」
「まったく悪[わる]い夢[ゆめ]だ。実[じつ]はおれも可怪[おか]しな夢[ゆめ]を見[み]たよ」と、半七[はんしち]は笑[わら]った。
「へえ」
「その夢[ゆめ]を話[はな]して聞[き]かそうか」
「へえ」
 なにを云[い]うのかと、清吉[せいきち]は相手[あいて]の顔[かお]をながめていると、半七[はんしち]はやはり笑[わら]いながら話[はな]しつづけた。
「なにしろ夢[ゆめ]の話[はなし]だから、辻褄[つじつま]は合[あ]わねえかも知[し]れねえ。まあ、聴[き]いてくれ。ここに大[おお]きい屋敷[やしき]があって、本妻[ほんさい]の奥[おく]さまとお部屋[へや]のお妾[めかけ]がある。奥[おく]さまも良[い]い人[ひと]で、お妾[めかけ]も良[い]い人[ひと]だ。これじゃあ御家騒動[おいえそうどう]のおこりそうな筈[はず]がねえ。ところが、ここに一[ひと]つ困[こま]ったことは、その奥[おく]さまの腹[はら]に生[う]まれた嫡子[ちゃくし]の若殿[わかとの]さまというのが素晴[すば]らしい美男[びなん]だ。どこでもいい男[おとこ]には女難[じょなん]がある。奥[おく]さまにお付[つ]きの女中[じょちゅう]がその若殿[わかとの]さまに惚[ほ]れてしまった。昔[むかし]から云[い]う通[とお]り、恋[こい]に上下[じょうげ]の隔[へだ]てはねえ。女[おんな]は夢中[むちゅう]になって若殿[わかとの]さまに《《こすり》》付[つ]いて、とうとう出来合[できあ]ってしまったという訳[わけ]だ。どうで本妻[ほんさい]になれる筈[はず]はねえが、こうなった以上[いじょう]、せめてはお部屋[へや]さまにでもなって、若殿[わかとの]さまのそばを一生離[いっしょうはな]れまいという……。こりゃあ無理[むり]もねえことだが、さてそれがむずかしい。勿論[もちろん]お妾[めかけ]だから、身分[みぶん]の詮議[せんぎ]は要[い]らねえようなものだが、女[おんな]は男[おとこ]よりも年上[としうえ]で、おまけになかなかの《《しっかり》》者[もの]で、まかり間違[まちが]えば御家騒動[おいえそうどう]でも起[お]こしそうな代物[しろもの]だ。そんな女[おんな]を若殿[わかとの]さまに押[お]し付[つ]けて善[い]いか悪[わる]いか。こうなると、ちっと事面倒[ことめんどう]になるじゃあねえか。ねえ、そうだろう」
 云[い]いかけて清吉[せいきち]の眼色[めいろ]を窺[うかが]うと、彼[かれ]はそれを避[さ]けるように眼[め]を伏[ふ]せた。年[とし]の割[わり]には白髪[しらが]の多[おお]い小鬢[こびん]のおくれ毛[げ]が、薄暗[うすぐら]い行燈[あんどん]のひかりの前[まえ]にふるえていた。
「燈台[とうだい]|下[もと]暗[くら]しという譬[たと]えもある。まして大[おお]きい屋敷内[やしきない]だから、若殿[わかとの]さまと女中[じょちゅう]との一件[いっけん]を誰[だれ]もまだ感付[かんづ]いた者[もの]がねえ。殿[との]さまも奥[おく]さまも御存[ごぞん]じ無[な]しだ。ところが、悪[わる]いことは出来[でき]ねえもので、それをどうしてか若[わ]けえお嬢[じょう]さまに見付[みつ]けられた。すると、このお嬢[じょう]さまが又[また]、生[う]みの親[おや]の奥[おく]さまよりも不思議[ふしぎ]にお妾[めかけ]の方[ほう]に狎[なつ]いていたので、それをそっとお妾[めかけ]に教[おし]えたのだ。お妾[めかけ]もすぐにそれを奥[おく]さまか用人[ようにん]にでも耳打[みみう]ちして、なんとか取[と]り計[はか]らえばよかったのだが、自分[じぶん]ひとりの胸[むね]に納[おさ]めて置[お]いて、誰[だれ]にも知[し]らさずに穏便[おんびん]に済[す]まそうと考[かんが]えた。お妾[めかけ]はもちろん悪意[あくい]じゃあねえ、若殿[わかとの]さまに瑕[きず]を付[つ]けめえという忠義[ちゅうぎ]の料簡[りょうけん]から出[で]たことだが、その忠義[ちゅうぎ]が仇[あだ]となって飛[と]んだことになってしまった。というのが、去年[きょねん]の暮[く]れに、お妾[めかけ]は自分[じぶん]の親[おや]もとへ歳暮[せいぼ]の礼[れい]に行[い]った。その時[とき]にかの女中[じょちゅう]を供[とも]に連[つ]れて出[で]て、こっそりと意見[いけん]をした。若殿[わかとの]さまのことは思[おも]い切[き]って、来年[らいねん]の三月[さんがつ]の出代[でがわ]りには無事[ぶじ]にお暇[ひま]を頂[いただ]いて宿[やど]へ下[さ]がってくれ、と因果[いんが]を含[ふく]めて頼[たの]むように云[い]い聞[き]かせた。それも屋敷[やしき]の為[ため]、当人[とうにん]たちの為[ため]を思[おも]ったことだが、女中[じょちゅう]の方[ほう]はもう眼[め]が眩[くら]んでいるから、そんな意見[いけん]は耳[みみ]にはいらねえばかりか、却[かえ]って其[そ]の人[ひと]を恨[うら]むようにもなった。お妾[めかけ]が余計[よけい]な忠義立[ちゅうぎだ]てをして、無理[むり]に自分[じぶん]たちの仲[なか]を裂[さ]くのだと一途[いちず]に思[おも]い込[こ]んで……。おい、清吉[せいきち]。おれの夢[ゆめ]はここらで醒[さ]めたのだが、その先[さき]はおめえがよく知[し]っている筈[はず]だ。今度[こんど]はおめえの夢[ゆめ]の話[はなし]を聞[き]かせて貰[もら]おうじゃあねえか。おめえの話[はなし]も長[なが]そうだ。おれは一服吸[いっぷくす]いながら聞[き]くぜ」
 半七[はんしち]は腰[こし]から筒[つつ]ざしの煙草入[たばこい]れを取[と]り出[だ]して、しずかに煙草[たばこ]を吸[す]いつけると、清吉[せいきち]はやがて崩[くず]れるように両手[りょうて]をついて平伏[へいふく]した。
「親分[おやぶん]、恐[おそ]れ入[い]りました。ひとりの姪[めい]が可愛[かわい]いばっかりに……。お察[さっ]しください」
「それはおれも察[さっ]している。おめえが悪[わる]い人間[にんげん]でねえことは世間[せけん]の評判[ひょうばん]で知[し]っている。それにしても、仕事[しごと]があんまり暴[あら]っぽいぜ。いくらおめえ達[たち]の商売[しょうばい]でも、カチカチ山[やま]の狸[たぬき]の土舟[つちぶね]のようなことをして、殿[との]さまを始[はじ]め大勢[おおぜい]の人[ひと]を沈[しず]めて……」
「仰[お]しゃられるまでも無[な]く、わたくしも今[いま]では後悔[こうかい]して居[お]ります。どうしてあんな大胆[だいたん]なことをしたかと、我[われ]れながら恐[おそ]ろしい位[くらい]でございます。たった一人[ひとり]の姪[めい]が泣[な]いて頼[たの]みますので……。ふいと魔[ま]がさして飛[と]んでもない心得違[こころえちが]いを致[いた]しまして……。なんとも申[もう]し訳[わけ]がございません」
 汗[あせ]か涙[なみだ]か、清吉[せいきち]の蒼[あお]い顔[かお]は一面[いちめん]に湿[ぬ]れていた。